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女優の武井咲さんが主演するNHKドラマ「忠臣蔵の恋」の原作を読んだので、キャストと最終回のネタバレ、結末を紹介します。
NHKドラマ「忠臣蔵の恋」は、原作が諸田玲子の時代小説「四八人目の忠臣」。「忠臣蔵」を今までは違った角度から見た、命をかけた恋愛物語です。
ドラマ最終回のネタバレに迫るので、NHKドラマ「忠臣蔵の恋」最終回を見れなかったひとや、テレビで見るほど興味はないけど結末は知っておきたい人は参考になればと思います。
目次
● NHKドラマ「忠臣蔵の恋~四十八人目の忠臣~」キャスト
■浅野家・江戸上屋敷(現在の兵庫県赤穂市) ・浅野内匠頭 長矩(あさのたくみのかみ ながのり)(今井翼) ・家臣:村松 三太夫(中尾明慶) |
・古武士:堀部 弥兵衛(笹野高史)
元江戸留守居役
隠居して娘一家と暮らす
・弥兵衛の娘・安兵衛の嫁:ほり(陽月華)
きよの相談相手
・浪人:佐藤 條右衛門(皆川猿時)
・浪人・きよの兄:勝田 善左衛門(大東駿介)
・仙桂尼(三田佳子)
きよの叔母(母の姉)
きよには甘く厳しい
・吉良上野介
● NHKドラマ「忠臣蔵の恋~四十八人目の忠臣~」あらすじ
浅野家江戸屋敷で奥女中として、浅野内匠頭(今井翼)の奥方、阿久利(田中麗奈)に仕えるきよ(武井咲)は、琴の腕をかわれて奉公した少女。
殿の前で初めて琴を披露することになった時、鼓で競演したのは、殿の寵臣、礒貝十郎左衛門(福士誠治)。
実は幼馴染との再会だったのだが、きよはまだ気付かない。
やがて互いに惹かれあうようになるが、きよと十郎左衛門では、身分も違い、二人きりで会うなど許されぬこと。
それでもきよは内緒のこの初恋をあきらめきれない。
十郎左衛門も同じ気持ちで、障害をのりこえながら、二人は密かに夫婦になろうと約束する。日蝕で年が明けた元禄14年、殿が朝廷からの使者をもてなす勅使饗応役を幕府より仰せつかる。
城中でのしきたりを指南するのは吉良上野介。
ことごとく意見の会わない吉良の嫌味に耐え続ける殿は、ついに三日目、吉良に斬りかかってしまう。
殿中の刃傷事件で、殿は即日切腹となるが、吉良は傷を負ったものの帰宅を許され、なんのお咎めも受けなかった。
殿の無念を晴らすため、浅野家の家臣たちは仇討ちを誓う。
十郎左衛門ももはや命を捨てる覚悟できよに別れを告げる。しかし―。引用:http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/chu-koi/html_chu-koi_midokoro.html
● NHKドラマ「忠臣蔵の恋~四十八人目の忠臣~」最終回ネタバレ 結末は?
NHKドラマ「忠臣蔵の恋~四十八人目の忠臣~」の原作小説を読んだので、最終回ネタバレ、結末を紹介します。
先に結末を簡単にまとめると、きよは大奥になり、最終的に将軍の母親に。
四十六士の遺児たちは無罪放免となり、浅野家の再興という悲願も達成します。
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四十六士の処罰が決まらず、蛇の生殺しの状態。
切腹・打ち首を覚悟していたが、主君のために命をかけた者たちに世間が同情して無罪放免を訴えているのだ。
きよは、討ち入りを見届けて以来高熱で寝込んでいた。
桂昌院は将軍の母なので、彼女が口添えをしてくれれば、浪士たちは助かりそうだ。
一方で、吉良家と深い縁のある上杉家が異を唱えていた。
きよは礒貝十郎左衛門としのび逢おを重ねた想い出の場所・牛天神に行き、命だけは助けてあげて・もう一度会合わせて、と祈った。
2月になっても四十六士の処分は決まらなかった。
しかし4日の朝、きよは父から、浪士たちが今日切腹になることを知らされる。
きよは衝撃を受ける。
忠義は褒めたたえるが、無罪放免にすれば今後の治安に影響を与えるとしての苦渋の決断らしい。
きよは十郎左衛門がいる細川家の屋敷へ向かう。
午後2時前後、お目付けたち20名ほどが屋敷に入っていき、噂を聞きつけた野次馬も集まっていた。
「忠義の士に切腹させるとは許せぬ」
と抗議したり、合掌するなどがいた。
きよは、十郎左衛門が安らかに逝けるようただただ祈った。
屋敷の中は見えない。しかし「終わったぞ」という声がどこからか聞こえていた。
きよは茫然とした。
午後7時頃、箱提灯をともした乗物が、泉岳寺へ向かう。
きよはついていった。
本堂には亡骸が入った棺樽が並べられた。
墓穴はすでに掘られていて、早々に埋められた。
これで終わりか・・・
しかしきよの叔母・仙桂尼は、終わりでなく始まりだという。
肝心の仕事がのこっていると。お家再興だ。
女性たちでお家を再興して、浅野の家名を後世にひきついでいこうというのだ。
遺児たちも救うのだ。
きよは、生きる希望が湧いてきた。
■
十郎左衛門ら四十六士の切腹から2か月後。
きよの叔母・仙桂尼は、遺児たちの減刑に駆け回っている。
ほりは新たに大名家に奉公先を見つけ、きよにも奉公先を見つけるうよう話す。
きよは奉公先がなかなか見つからず焦っていた。
一方、遺児たちは流刑が決まり、護送の際、見送りに行こうとしたが、騒動を予想してすでに出航していた。
きよは何もできない自分が無念で仕方なかった。
5月26日
十郎左衛門の母・貞柳尼が亡くなった。
細井家からきよへ連絡がきた。
細井家はきよに好意をもっていたが、きよが十郎左衛門と夫婦同然だったことは知らない。
実は細井はきよに奉公先の話を持ってきた。
奉公先はなんと、時期将軍候補のひとり綱豊公の屋敷「桜田御殿」。
ただ、きよが嫌う柳沢の意思によってである。
しかし幕府の最高権力者・柳沢とわずかでも関わりをもっていれば、浅野家の再興や遺児たちの減刑を実現する糸口になる可能性を秘めている。
千載一遇のチャンスだ。
きよは奉公を決めた。
しかし今の身分では無理なため、カタチだけでも小姓組番士・矢島義充の養女になる必要がある。
父は最初は驚いたが、きよの覚悟を知り了承した。
11月
将軍家は跡取りがおらず苦しんでいた。
最後の望みだった鶴姫も病気に。
こうなると、綱豊公が世継ぎになるのは間違いない。
つまりきよは大奥に入ることになる。
そうなれば浅野家の再興や遺児たちの減刑も夢ではなくなる。
11月22日夜
江戸・関東一円が大地震の被害にあった。元禄地震だ。
マグニチュードは推定7.9~8.5
多くの屋敷が倒壊し、犠牲者対数、津波の被害もあった。
29日には追い打ちをかけるように火事が。
江戸は大混乱に落ちいり、きよの奉公入りも延期となった。
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3月、きよはついに桜田御殿に入った。
4月半ば、きよは綱豊公から初めて声をかけられた。またこの月に鶴姫は死去している。
綱豊公は、きよに話し相手になってほしいという。
しかし実際は、閨に呼ばれ、抱かれた。
ある日、きよは十郎左衛門に良く似た人影をみて
「十郎左さま」
と思わず声にしてしまった。
その人影は間部詮房(まなべあきふさ)という小姓だった。
十郎左衛門に体つきは似ているが声は違った。
間部詮房は、きよの悲願に力を貸すという。
宝永元年(1704年)12月5日
綱豊公は将軍の養子となり、江戸城西の丸に引っ越すことになった。
こうして時期将軍に決まったからには、世継ぎの男児がどうしても必要だ。
きよは側室となっていた。
ある日、仙桂尼がきよを訪ねてきた。
四十六士が切腹したのはおととしの2月4日。
十郎左衛門の命日でもあるが、大奥に入った以上、きよは墓参りにいけない。
遺児の1人は流刑に耐えられず亡くなった。
きよは、ついに綱豊公に懇願することを決意する。
きよが綱豊公に懇願しようとすると、逆に彼のほうから話をしだした。
懇願はすでに叶えられようとしていたのだ。
「時期を待て」と綱豊公はきよを諭した。
1705年の正月
柳沢は大老格にまで上り詰めた。
8月、大規模ば恩赦があり、流刑になっていた遺児たち3人が、出家を条件に帰ることを許された。
帰るのはおそらく9月になってからとのこと。
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大奥では2人連続がご懐妊があった。
きよはまだだったが、そのおかげで殿を独占できた。
まもまくきよも鍋松を妊娠した。
1709年の正月
五代将軍・綱吉公が死去し、いよいよ綱豊公が将軍になった。
そして、浪士の遺児たちを含む多くの罪人を無罪放免にした。
ある日、父・兄弟ら家族がきよの元を訪れ、きよは喜んだ。
鍋松は将軍の次男となっていた。
家族は、遺児たちが無罪放免になったのは、きよの働きのおかげだと感謝した。
きよは鍋松を出産したとき、綱豊公に唯一ねだった褒美がある。
それは、浅野家の再興。
殿の弟・長広のもとへ召喚状が届けられ、江戸に帰ってもらい旗本として再興できるのだ。
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綱豊公は51才で亡くなった。将軍になって4年にも満たなかった。
継いだのは、きよが産んだ鍋松だ。他が産んだ大五郎は鍋松が産まれた翌年に若くして亡くなった。
鍋松は7代将軍・家継となり、きよはその母親なのだ。
きよはお忍びで十郎左衛門の墓参りに行き、てをあわせた。
Thank you very much for sharing these details.
Just watching drama via NHK, and curious what it would happen…
Even though I have known the endings, still be interested in watching drama.
Thanks again.