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映画「そして父になる」が地上波放送されますが、観たことがある人は、結末でどっちの子供を選んだか気になる人は多いです。
「そして父になる」には原作となった実話本『ねじれた絆』があるので、実話でどっちを選んだか、映画との違いなどネタバレします。
「血の繋がりと、育ててきた時間」とても考えさせられるテーマです。
目次
●映画「そして父になる」原作実話ネタバレ 結末はどっちの子供を引き取った?
映画「そして父になる」の原作は、厳密には原作ではなく参考文献なのですが、ジャーナリスト奥野修司さんによる実話本『ねじれた絆――赤ちゃん取り違え事件の十七年』。1977年に沖縄で起きた「赤ちゃん取り違え事件」を17年間取材した実話ルポタージュです。
登場する家族は伊佐家と城間家で、「そして父になる」は父親が主人公ですが、『ねじれた絆』では母親の伊佐智子が主人公です。
伊佐家の育てた子供は美津子。実子は城間家が育てた初子で、交換後には名前を真知子に変えてます。
相手の城間家は、生活レベルは伊佐家と同じくらいですが、教養がなく子育ても場当たり的で、嫁の夏子は育児放棄して遊びに出かけ、旦那の城間照光は嫁の姉とできて子供も妊娠させるなど家庭は荒れています。
「そして父になる」では東京と群馬で離れてますが、実話では沖縄内で距離が近いです。
週末にお互いの子を育った家庭で過ごすミッションを行いますが、2年後には、真知子(伊佐家の実子)は育ての親の荒れた男女生活を目にしたことで、実の両親(伊佐家)で生きていこうと決意。
6年後、伊佐家と城間家は同じ敷地内に住み、美津子は育ての伊佐家に入り浸るようになっていました。
結末はどっちになったかというと
初子と真知子、どっちも両方とも伊佐家で家族になりました。城間家の主・城間照光は子供を交換したことを後悔しました。
■原作実話のモデル本人の感想
実話で取り違えられた子供の1人、城間家の実子である美津子さんは、『そして父になる』の結末に納得できてないようです。
「この作品は自分たちがモデルになっているのかな…と思いました。私たちは、ずっと苦しみながら生きてきました。それがこういうかたちで映画になって…どうも納得できないんです」
「交換前に洋服とか自分の荷物をまとめるシーンなんかは、自分の体験と重なりました。でも、その後は子供が苦しんだ部分はサラっと流されて…。本当に私たちの“心の傷”をわかったうえで映画にしているのかなって。ラストも中途半端な終り方で…。違和感が残りました。なんだか納得できないんです」
●映画「そして父になる」ネタバレ 結末はどっち?「元に戻った」説
原作実話では、育ての子供も実の子供も、どっちも引き取りましたが、映画の結末はどっちなのでしょう?
「血=琉晴」と「育ててきた時間=慶多」のどっちを選んだのか
■結末はどっち?➝元に戻った
映画のネタバレを見ていくと、結末は「元に戻った」のではないかと思います。
「血=琉晴」ではなく「育ててきた時間=慶多」を選びました。
自宅でテント遊びをした時、琉晴の願い事は「ママとパパのところに戻りたい、ごめんなさい」で、それを聞いた野々宮良多は「いいんだよ」と答えました。血の繋がった息子を悲しませてはいけない、元の家族へ戻すべきだと考えました。
野々宮良多は、カメラに保存された画像から、慶多が撮った良多の画像を発見。それは寝ている姿ばかりで、良多はきっと慶多が元の家族に戻りたいと思ってると気づき、涙しました。
「ミッションは終わりだ」の意味は、「斉木家に馴染むミッションは終わり」「(慶多と)縁を切って2度会わないミッションは終わり」
結末シーンで、野々宮良多が慶多を群馬の斎木家に連れていったとき、琉晴は兄弟から「お帰り」と迎えられ「ただいま」と答え、自分の居場所に戻ってきたように斎木夫婦の後ろにまわりました。
その後は2人の子供の成長を見守りながらお互いの家族の交流は続け、子供本人が置かれた状況を理解して自分で判断できるようになるのを待つのかも。
■良多と父親
野々宮良多は父親の連れ子です。それが原因で父親を嫌悪すると同時に、血の繋がりにこだわってます。一方で、血の繋がらない育ての母親に心を許しています。
野々宮良多は昔、家出したことがありました。琉晴が家出した斉木家に行ったとき、良多は自分と同じ血が流れてると感じたと思われます。一方で慶多とはカメラ画像を通して「育てた時間の繋がり」を感じました。
■「血と、育ててきた時間」
ストレス解消が動機で子供の取り違えを起こした犯人である看護婦のアパートへ、良多が行ったとき、看護婦の血の繋がらない母をかばうシーンがありました。これも「育ててきた時間」の結末の伏線だと思います。
●映画「そして父になる」ネタバレ 結末はどっち?「どっちでもない」説
結末でどっちを選んだかネタバレするのではなく、観る者に判断を任せた可能性も高いです。
タイトルの「そして父になる」の文字通り、家族の状況が大きく変わったことで、野々宮良多がまさしく「そして父になる」姿を描いたのだと思います。本当の意味で父親としてこれから生きていくのでしょう。
■で、結局どっち?
「血と、育ててきた時間」どっちを選ぶか、答えは出せないというのが映画で描きたかったテーマにも思えます。
ラストシーンで斉木家の電気店に、斉木家と野々宮家が入りますが、その様子は別々の家族ではなく、まるで1つの家族のようです。
「血と、育ててきた時間」どっちを選ぶかは、子供に任せることになるかもしれないし、親が決めるのかもしれないです。
きっと監督はわざとどっちつかずな結末にして「あなたならどうする?」と観客に問いかけてるのだと思います。
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