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朝ドラ「わろてんか」で、てんと藤吉の恋仲を邪魔して引っかき回すリリコ。広瀬アリスさんが演じる恋に純粋すぎる漫才師リリコのモデルは、ミスワカナです。
ミスワカナは、アコーディオンを奏でる相方の四郎とともに流行歌漫才で一世を風靡したお笑い大スター。
10代で許嫁との不本意な結婚後、四郎と駆け落ち。20代では吉本興業にスカウトされトップスターの仲間入りするも、松竹への電撃移籍で失敗。30代では浮気をして離婚し、若くして亡くなりました。
目次
●「わろてんか」秦野リリコ(広瀬広瀬アリス)のモデルはミスワカナ
■大人気の流行歌漫才「ミス・リリコ アンド・シロー」
● 秦野リリコ(広瀬広瀬アリス)
てんの恋敵?終生の友?
幼少期から旅回りの芸人一座に所属し、転がり込んできた藤吉は兄のような存在から片思いの相手に変わった。てんと藤吉の仲を邪魔して引っかき回す。娘義太夫で成功して東京でスターになるが、全てを捨てててんと藤吉の前に再び姿を現す。
● 川上四郎(松尾諭)
音楽学校で学びピアニストを目指したが夢破れ、無声映画の伴奏楽士になったが、映画トーキー化の影響で仕事がなくなり、リリコの流行歌漫才で相方としてアコーディオン伴奏をする。口下手でプライドが高い。
モデルの流行歌漫才で一世を風靡したミスワカナです。
芸名:ミスワカナ
本名:河本杉子
出身地:鳥取県鳥取市
生年月日:1910年10月20日
●「わろてんか」秦野リリコのモデル・ミスワカナ 駆け落ちした10代
■4才で父親が死去
ミスワカナは幼少期から父親と巡業に出てましたが、4才のときに父親が死去・・
■9才で芸能界入り
ミスワカナは9才で芸能界に入り、師匠・山村出雲に弟子入りして安来節を歌いましたが、学校に通ってなかったので文字が読めませんでした。
■14才で芸名「河内家小芳」
ミスワカナは14才で2代目河内家芳春に入門して芸名「河内家小芳」を名乗る漫才師となり、玉子家金之助とコンビを組み、彼は許嫁になりました。
■15才で玉松一郎(川上四郎のモデル)と出会う
1925年(大正14年)ミスワカナは平和ニコニコとコンビを組んで大阪で活動していた15才のとき、無声映画の伴奏をする19才のバンドマン玉松一郎と運命の出会いを果たし、恋仲に。
しかし玉松一郎の家族から交際を猛反対され・・・
1928年(昭和3年)
ミスワカナは18才で無理やり故郷の鳥取に戻され、許嫁の金之助と結婚。娘を出産しました。
■一郎と再会し駆け落ちしてコンビに
1929年(昭和4年)
ミスワカナは19才で実家を飛び出し、大阪で漫才師の活動を再開。
するとタバコを買いに行ったとき偶然、玉松一郎と運命の再会を果たし、お互いの両親の猛反対を押し切って駆け落ち。2人で広島で初舞台を踏みます。
その後、中国地方・九州地方と西へ移動、海を渡って中国青島へ。
●「わろてんか」秦野リリコのモデル・ミスワカナ スターになった20代
■一郎が倒れる
中国青島で、玉松一郎が土地に馴染めずに腎臓の病気を患い倒れました。ミスワカナは英語や中国語のほかダンスやタップの芸にチャレンジして家計を支え、病気の玉松一郎はアコーディオンをマスターしました。
1931年(昭和6年)
ミスワカナは21才で、帰国して芸名を「都家若菜」に改名し、「若菜万歳一座」として九州巡業をスタート。
■よしもととにスカウトされる
1937年(昭和12年)
ミスワカナは27才のとき広島で、吉本せい(てんのモデル)の弟の林正之助(風太のモデル)にスカウトされ、コンビ名を「ミスワカナ・玉松一郎」へ改名。
当時、吉本興業は上方落語から漫才に切り替えて、昭和5年にブレイクした「エンタツ・アチャコ」に続く新人を探していました。上方落語のスター桂春団治も昭和9年に死去したのでブレイク芸人の存在は必須でした。
■斬新な「歌謡漫才」でスターに
コンビ「ミスワカナ・玉松一郎」に漫才の手ほどきをしたのは、漫才作家で上方漫才の父・秋田実でした。
流行歌を歌いながらダンスし、片言の英語を交えた話芸のミスワカナと、眼鏡がトレードマークで流行のアコーディオンを弾きながらツッコむ一郎という、斬新な漫才コンビが誕生。男尊女卑の時代だったから、女性が男性をやり込める姿がとにかくウケました。
新ジャンル「歌謡漫才」は老若男女の声柄を使い分けるその話芸に、会場は爆笑の渦で、2人は大ブレイクして一躍スターに。
舞台公演以外にも、ラジオの寄席中継や、レコード録音など幅広く活躍しました。
モデルとなったであろうミスワカナ・玉松一郎。ワカナは4歳で安来節を歌っていたそうで、14歳の時に河内家芳春に弟子入り。玉松一郎は無声映画の伴奏をするバンドマン。共に楽天地で活動していた。文字の読めなかったワカナに、コンビ漫才の手ほどきをしたのが漫才作家の秋田実という人だった。 pic.twitter.com/nJT5gjMGyz
— しいたけ (@zidaiokure_21th) 2018年2月3日
■「わらわし隊」に参加
吉本興業2年目、「ミスワカナ・玉松一郎」は「わらわし隊」メンバーとして、日中戦争で戦う兵士を慰問しに中国へ。
慰問先で中国語と日本語を混ぜ合わせた「金色夜叉」の替え歌を披露して大ヒットし、トップスターの仲間入りを果たしました。それは全盛期の「エンタツ・アチャコ」をも超えるほどでした。
しかしミスワカナは慰問に出たあと、ヒロポン(覚醒剤)に依存するようになります。戦地で見た酷い光景を記憶から消したかったのかもしれません。
■新興キネマ演芸部へ移籍騒動
そんななか、演劇界の「松竹」が、「新興キネマ」に演芸部を作って吉本興業の漫才師のヘッドハンティングを始め、人気絶頂の「ミスワカナ・玉松一郎」にも声がかかりました。
1939年(昭和14年)松竹系「新興キネマ」から破格のギャラを提示され、電撃移籍して世間を大きく騒がせます。
破格のギャラとは
吉本興業のギャラが、コンビで月給60円から始まり最後230円だったのに対して、新興キネマのギャラはコンビで月給1000円で3年間の専属料7000円、レコードやラジオ出演は自由という、比較にならないものでした。
吉本興業は、「ミスワカナ・玉松一郎」の出演禁止を求める仮処分を申請して法的手段に出るなど、松竹との対立もエスカレートしていきました。
■新興キネマ消滅 よしもとに戻れず
松竹系「新興キネマ」は吉本興業から漫才師を引き抜いてお笑いに殴り込みをしかけたものの、結局吉本興業にかなわず、キネマ演芸部は消滅する羽目に。
吉本興業に戻りたいですが、それが許されることはありませんでした。
●「わろてんか」秦野リリコのモデル・ミスワカナ 30代で死去・・・
■ミスワカナの浮気が原因で離婚
1944年(昭和19年)
ミスワカナは34才で、妻子持ちの俳優と浮気したことが原因で玉松一郎と離婚。
離婚してもコンビは解散せず活動を続けました。
■ミスワカナ死去
1946年(昭和21年)10月14日
太平洋戦争終結の翌年
ミスワカナは阪急西宮球場での野外演芸会の帰り道、阪急西宮北口駅のホームで心臓発作を起こして死去しました。享年36才という若さでした。
死因はヒロポン(覚醒剤)中毒と過労だといわれてますが、付き人がヒロポは2年前に辞めていたと証言してるので、死因の真相は謎のままです。
●最後に
モデルの「ミスワカナ・玉松一郎」は実際の夫婦でしたが、朝ドラ「わろてんか」のリリコと四郎は出会いから何まで設定が全然違います。
ドラマの脚本は基本コメディータッチなので、リリコと四郎の成功や失敗がどんな風に描かれるのか注目です。
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