_
日テレの鈴木美穂さんが結婚するとわかりました。旦那となる結婚相手は、年齢1つ年上の会社員の一般男性。
鈴木美穂さんは日テレ「スッキリ」「ミヤネ屋」に出演する報道局記者・キャスター。結婚して幸せな笑顔を見せていますが、一方で乳がんステージ3を経て現在NPO「マギーズ東京」でがん患者たちを応援もしています。
24才の若さで乳がんステージ3が発覚した時は絶望し、目の前が真っ暗に。しかしある女性との出会いで、乳がん経験を活かして社会に貢献するという自分の使命に目覚めました。その後フリーペーパー「STAND UP!!」、ワークショップ「Cue!」と活動の幅を広げ、現在NPO「マギーズ東京」でがん患者とその家族・友人たちを応援しています。
目次
●鈴木美穂 乳がんに負けず結婚!
鈴木美穂さんは2017年10月9日週の週末に、結婚予定。結婚後も仕事は続けていくそうです。
交際期間は1年で、交際1年目の記念日にプロポーズされたそうです。
旦那となる結婚相手は、年齢1つ年上の会社員の一般男性。
「私の山あり谷ありの人生を丸ごと温かく包み込み、どんなときも味方でいてくれる彼は、いつしか私にとってなくてはならない大切なパートナーになっていました」と鈴木美穂さんはコメント。
「山あり谷ありの人生」とは、乳がん経験が一番大きな出来事でしょう。
●鈴木美穂 経歴プロフィール(画像)
名前:鈴木 美穂(すずき みほ)
出身:東京都
生年月日:1983年10月16日
年齢:現在33才
職業:日テレの報道記者兼キャスター
■小学校から報道を目指した
鈴木美穂さんは東京生まれの横浜育ち。クラス活動で司会をしたり、イベントを企画するのが好きなアクティブな子供した。
そんななか小学校5年で担任から「テレビニュースに向いていると思う!」といきなり言われ、実際にニュースを見てみると、記者の女性がまるでスーパーウーマンに見えて強烈な憧れを抱き、この瞬間から報道記者を目指すことになりました。
小学6年の時、親の仕事の都合でシカゴに移住。しかし英語が話せないので周囲とコミニュケーションと取れず泣きながらトイレで食事したり・・・。でも記者になる為には英語も必要だと考え、猛勉強をして英語をマスターしていきます。
■高校~大学時代
しかしやっと学校に馴染んできた中学3年で日本に帰国することに。高校受験は、テレビ局に入社しやすい大学ランキングを調べた結果、鈴木美穂さんは慶應義塾女子高校に進学。
高校時代は自由な校風の中、行事やイベントに本気で取り組み、充実した学生生活でした。記者になる夢はぶれず、大学3年生向けにテレビ局が開催した就職活動のセミナーに1人だけ高校の制服で参加しました。
慶應大学に進学。鈴木美穂さんはぶれることなくファッション雑誌のライター、テレビ局のイベントのバイトなど記者に近づいていきます。
バックパッカーで30カ国以上を旅行。世界中で皆が知らないことを伝えていきたいと感じて、報道への思いが一層強くなりました。卒業記念には、友達とママチャリで日本縦断するなど活発な学生時代。
■日テレに入社して念願の記者に
大学卒業後、日テレに入社。1年目は報道局でAD、2年目に念願の記者になりました。そして仕事もプライベートも一番楽しい時期を迎える社会人3年目の5月、24才で乳がんが見つかります。
●鈴木美穂 乳がんステージ3 手術・闘病生活
■乳がん発覚 ステージ3
2008年5月24才
報道記者になる夢をかなえ、順風満帆な人生だったはずが一転します。ある日シャワーを浴びる時に右の乳房にしこりを感じ、検査したら乳がんが2つ。合わせて5センチのサイズで、ステージは4段階中3でした。
一般的に乳がんステージ3は、腫瘍が大きく比較的進行した状態で、5生存率は72.48%です。
鈴木美穂さんの家系は、祖父母の代からがん患者ゼロ家系。誰1人がんと向き合ったことはなく、予期せぬ事態に家族は大パニックで、目の前が真っ暗に。がん=死というイメージでした。
■手術・つらい闘病生活
右乳房の乳がん摘出手術。鈴木美穂さんは手術室に向かうとき「もう麻酔で目覚めることができないんじゃないか」と怖くて仕方ありませんでした。
手術は無事終了。でもここからが大変でつらい闘病生活の始まりです。抗癌剤治療、放射線治療、ホルモン治療、分子標的薬といった標準治療のフルコースを受けました。
鈴木美穂さんはなんとか前向きに考えますが、副作用で脱毛が始るとどんどん不安定になり、気持ちも少しずつ弱っていき「がんになったら死ぬんだ」と思いました。
結婚も出産も、いつかしようと思っていた世界一周もできないまま死んでしまうのかと泣きました。
死ぬのが怖くて、天国のような場所に歩いていく夢を毎日見るようになり、目覚めると髪の毛が抜けていて、抗癌剤の副作用で体全体がだるくて吐き気もする状態。
■ある女性と出会い救われる
闘病数ヶ月目のある日、ある女性と出会い鈴木美穂さんは救われます。彼女は9年前に乳がんを経験していて、当時自分が欲しかった可愛いウィッグや帽子を、闘病中のがん患者に提供するサロンをマンションの一室で運営していました。
彼女はとてもキラキラしていて、鈴木美穂さんは自分が元気になったら乳がんの経験を活かして人のためになりたいと、心が救われ、がん経験を活かして社会に役立つことが自分の使命だと強く感じました。
それ以来、3ヶ月続いた「天国へに行く夢」はみなくなり、心身ともに順調に回復していきました。
そうして8ヵ月間の休職を経て職場復帰を遂げます。
●鈴木美穂 乳がん経験していろいろな活動
■フリーペーパー「STAND UP!!」
鈴木美穂さんは「がんになると苦しんで死ぬ」という、マスコミが作るイメージを変えたくて、仲間を集めて2009年にフリーペーパー「STAND UP!!」を創刊しました。
「STAND UP!!」は35才以下の若くしてがんになった人を応援するためのフリーペーパーです。がんを告知されたとき、どう生きていけばよいかといった情報にたどり着くために。
3万部を発行し、全国のがん拠点病院に置いてもらうことに成功。当時はSNSのmixiを使って、若いがん患者たちに実名・顔出しでがん経験を書いてもらいました。現在は300人以上の団体に育っています。
【告知】
全国の大学病院に置かれる、若年性がん患者の情報マガジン『STAND UP』フリーペーパー6号に、私の寄稿エッセイが載ります。5月頃から病院に置かれます。結構長い寄稿なので興味を持った方がいたら読んでくださると嬉しいです! pic.twitter.com/0cTnbp7w1V— さくりんぬ(・x・) (@rotom_pad) 2015年4月10日
■ワークショップ「Cue!」
2013年3月
「STAND UP!!」代表として患者会国際交流に参加。
日本は医療は進んでますが、がんと共に生きるという観点は遅れてると痛感します。
がんになると日本では「可哀そう」「大丈夫なの?」と言われます。
でも欧米では「コングラチュレーションズ!(おめでとう)」ハグする文化が広まっていました。「がんになったことは大変だったかもしれないけれど、大変な思いを乗り越えて、今そこにある命が素晴らしい」という理由からです。
感銘を受けた鈴木美穂さんは、がんを隠さず後ろめたくない文化を目指し、がん患者向けのワークショップ活動「Cue!」をスタート。
「Cue!」の意味は「Congratulations on your Unique Experience(あなたの特別な経験に、おめでとう)」の頭文字。ヨガ・ウォーキング・書道をしたり、病院以外に行ける場所を提供する団体で、月に1~2回の活動。場所はお寺やヨガスタジオを借りました。
■「マギーズ東京」
2014年の6月、鈴木美穂さんは厚生労働省の担当となり、念願の医療取材ができるようになりました。がんに関することを本業でも出来るようになったんです。
そして患者会国際交流に2度目の参加し「マギーセンター」の存在を知ります。
「マギーセンター」は1996年に生まれ、「自分を取り戻せるための空間やサポートを」というコンセプトで、がん患者・家族・友人たちのための空間と専門家のいる場所のこと。
鈴木美穂さんは自分が求めていたものはこれだ!と感じ、日本でも作ろうと考えました。
帰国すると5年前から日本で「マギーセンター」を作ろうと活動中の秋山正子さんがいると知ります。鈴木美穂さんのチームにはメディアや建築・アートに強みがあり、秋山正子さんのチームには医療界の実績・信頼があったので「一緒に作りましょう」と提案。
2014年5月「マギーズ東京」を作るプロジェクトを開始し、建築がわかる友だちの尽力で土地も内定。クラウドファンディングで、目標700万円を大幅に超える2200万円が2ヶ月で集まり資金も調達できました。
翌年2015年4月にNPO法人「マギーズ東京」を発足。
2016年10月「マギーズ東京」をついにオープンしました。
場所:東京都 江東区豊洲6-4-18
●ネットの反応
鈴木美穂さんの乳がん闘病をドキュメントを見たことがあるから、岸さんと隔週ごとに笑顔でニュースを読んでいるのを見ると、職場でも家でも穏やかな気持ちになれる人でした。
— くくด้้้้้็็็ (@kkm2303) 2017年10月10日
鈴木美穂さんが結婚されるのをLINEで知った。
『スッキリ!』でお祝いされていたな。
読売テレビ『ミヤネ屋』でも宮根さんから変なお祝いの仕方されるんだろうな。(笑)— くくด้้้้้็็็ (@kkm2303) 2017年10月10日
鈴木美穂さん、結婚されるんだ。めでたい。
— Patricia,a.k.a.Anita (@apple_scruffs_a) 2017年10月10日
この記事へのコメントはありません。