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大谷直子さんは現在、「悪性リンパ腫」を乗り越えて人生を達観しているといいます。
若い頃は朝ドラで大人気となり、昭和の名女優となった大谷直子さん。結婚と離婚を2度経験しました。
最初の夫とは、大谷直子さんの不倫が原因で離婚。再婚した夫の清水こうじさんは憧れの人でしたが、お金が原因で離婚しました。元夫の清水こうじさんとの間にできた娘・華子さんは現在、母親と同じ女優をしています。
57才でまさか血液の癌「悪性リンパ腫」を患い、余命3か月を宣告され、体重激減・・・ネットでは「死去いつ」など暗い噂もささやかれました。
また、病気を発端に芸能界を離れている間、振り込め詐欺の被害にもあっていたそうです。しかも弁護士に頼らずに自力で裁判を起こしたそうで・・。
「悪性リンパ腫による生死」や「振り込め詐欺の被害」を乗り越えたことで、現在は悟りの境地をひらいたみたいです。
目次
●大谷直子の若い頃(画像あり)
大谷直子さんは、東京・北千住の下町育ち。大人になったら普通に働く女性になると思っていました。
しかし高校1年生の時、知人が内緒で送ったオーディションに合格して映画出演することに。
その映画とは、戦争をテーマにした岡本喜八監督の「肉弾」。お下げ髪でもんぺが似合う女子役には300人が応募して、大谷直子さんが選ばれたのです。
仕方なく出演した大谷直子さん。この映画だけのつもりでいたところ、NHKのドラマ制作者の目にとまり、19才で朝ドラ「信子とおばあちゃん」の主役に大抜擢されました。
すると平均視聴率37.8%、最高視聴率46.8%を記録する大人気!一躍スターとなりました。その後も「雪国」「天城越え」「橋のない川」などの名作に出演。
1978年に主演した「天城越え」は文化庁芸術大賞、1人二役を演じた1980「ツィゴイネルワイゼン」では日本アカデミー賞優秀主演女優賞とキネマ旬報主演女優賞の2つを受賞するなど名女優に。
テレビ埼玉水曜夜7時より再放送中
1974年勝プロ制作フジテレビ木曜夜8時放送『座頭市物語』第14話「赤ン坊喧嘩旅」より
勝新太郎さん。そして市に喉笛かっ切られて声が思うように出せなくなった復讐を遂げようと市をつけ狙うアサシンを演じる我らが岸田森さん。
大谷直子さんお綺麗ですね😍 pic.twitter.com/DlffUYPtnO— あんちゃん (@60nendai) 2017年9月13日
●大谷直子 夫 清水こうじ
大谷直子さんは女優として名作を残す一方、プライベートでは2回の結婚・離婚を経験。シングルマザー女優として3人の子供を育てています。
■最初の結婚 夫は俳優
1971年、大谷直子さんは俳優の松山政路さんと結婚。女の子を出産しますが1974年に3年間の結婚生活にピリオドをうち離婚。
離婚の原因は、大谷直子さんが俳優の近藤洋介さんと不倫したことでした。
■再婚した夫も俳優
1979年1月、大谷直子さんは俳優の清水こうじさんと再婚。婚約会見では有名朝ドラ女優と無名俳優カップルということで注目されました。
夫の清水紘治さんは、俳優座養成所、文学座を経て劇団自由劇場や黒色テントの旗揚げに参加した、演劇界の中ではホープでしたが、お金はありませんでした。
婚約指輪は、廃業した知人の時計屋のパーツを使い、製作費用はたったの3000円。
■夫の清水こうじも再婚
お互い再婚でした。夫の清水こうじさんは、劇団自由劇場時代に熱烈ファンで人妻の女性と結婚。最初の嫁との間に子供(女児)が産まれましたが、1976年に離婚して子供は嫁が引き取っていきました。
■清水こうじは大谷直子の憧れの人
実は、大谷直子さんにとって清水こうじさんは憧れの人でした。彼女が「肉弾」でデビューした年にドラマ「3人の母」で共演。当時高校生だった彼女は清水こうじさんを、頼れる兄的存在として慕っていました。
その後1978年夏に街で偶然、運命の再会。高校生から大人の女性になった大谷直子さんは憧れの人と交際をスタート。翌年1979年1月に結婚。
結婚から2年後1981年春、大谷直子さんは妊娠2カ月目から8カ月目までの妊婦ヌー〇を発表して世間をあっ言わせました。5月に帝王切開で男の子を出産しています。
■2番目の夫とも離婚
大谷直子さんと夫の清水こうじさんはおしどり夫婦と呼ばれましたが、1991年から別居して3年後の1994年に離婚しました。
離婚の原因は清水こうじさんの借金。
大谷直子さんが稼いだお金を、夫は自分がプロデュースする舞台につぎ込みました。嫁の収入にばかり頼らず自分でも稼ごうと下北沢にバーを開店しますが赤字が続きかえって借金が増えました。
また、大谷直子さんは女優ではなく家庭に入ることを望んでいたことも離婚の理由です。
●大谷直子の子供 娘・華子も女優(画像)
大谷直子さんには3人の子供がいます。
3人のうち、2番目の夫の清水こうじさんとの間にできた娘・華子さんは、母親と同じく女優をしています。
1985年7月11日産まれの現在32歳。
原宿でスカウトされて芸能界入りしましたが、当初は大谷直子さんは娘の芸能活動に反対したので、娘であることも公表せず、苗字も「清水」を名乗って舞台女優として活動していました。
2012年にはテレ朝の2時間ものでドラマに初出演。現在は舞台を中心に、映画や雑誌に出演しています。
また、現在は大谷直子さんは娘の芸能活動を認めています。
キャスト紹介
♡華子♡
匡の母 曜子役
母は女優 大谷直子さんの娘さん、父は俳優の清水紘治さんという、スーパーサラブレッド!2世でも謙虚で、とっても爽やかな女優さん。企画一目惚れオファーの女優です。
可愛いし、女性らしいし、演技もすばらしい!
期待大です!#ボクママ #華子 pic.twitter.com/cXeQ1FhF9S— ボクとママと発達障がい(公式) (@bokumama7) 2017年7月20日
●大谷直子は現在、人生を達観!悪性リンパ腫で「死去いつ?」と噂も
大谷直子さんは30代半ばから、激しい肩こりや腰痛に悩まされていました。あさ起きるのもつらくてマッサージに頻繁に通っていました。
そういった体の不調の原因は、更年期のせいだと思っていたのですが・・・
■2007年「悪性リンパ腫」余命3ヶ月
2007年57才の時、大谷直子さんは背骨が圧迫骨折したことが判明します。
さらに大学病院で精密検査を受けると「悪性リンパ腫」だと診断され、余命3ヶ月を宣告されます。
「悪性リンパ腫」とは、血液の白血球に含まれるリンパ球が癌化する病気。血液の癌。
背骨が圧迫骨折した原因は、癌細胞が骨に転移したからでした。しかも臓器も腫瘍に圧迫され内臓はぐちゃぐちゃ状態だったといいます。
■「悪性リンパ腫」の治療、体重激減
「悪性リンパ腫」の治療は手術はなく点滴治療。リンパ系組織は体全身をめぐっているので手術で取り除くことができません。「4種類の抗がん剤」と新開発の「癌細胞を攻撃する抗体薬」で点滴治療を行いました。
入院中、抗がん剤の副作用で脱毛した髪の毛でベッドが汚れるので、さきに丸坊主にしました。個室が埋まっていたので4人部屋でしたが、おかげで闘病中の患者たちの痛みや悲しみがよくわかるようになったといいます。
体重は11kgも減り33kgにまで落ち、骸骨のような見た目に。
1ヶ月入院したと、3週間おきに通院して点滴治療が続きました。
半年後にはがん治療を終えることができました。新開発の抗体薬が効いたようです。余命6ヶ月を克服しました!
■「死去いつ?」と噂も
がん治療を終えたものの、体力の低下は著しく、女優の仕事を再開することはできませんでした。
収入ゼロになり、貯金を取り崩しながらの生活。子供はすでに家を出て別々に暮らしていたので、大谷直子さんはひっそりと隠とん生活となりました。
「悪性リンパ腫」という癌の病気を患ったことと、世間から姿を消したことで、死去の噂が。
ネットでは「死去いつ」という衝撃の検索ワードも現れました。
■現在は人生を達観
隠とん生活が4年続き、やがて体力も回復して還暦を迎えたころ、大谷直子さんに再び女優の仕事がオファーが舞い込んできました。
復帰作は2012年公開の映画「希望の国」。
大震災と原発事故をテーマにした作品で、大谷直子さんが演じるのは、認知症を患った被災地の酪農家の嫁という、時代を反映した難役でした。
その後も尊敬する大女優の乙羽信子さん役や、2014大河ドラマ「軍師官兵衛」などに数々の作品に出演していきました。
現在、大谷直子さんは「悪性リンパ腫」を経験したことで、人生を達観するようになったといいます。おいしい食事もせず、粗食で無欲に暮らしています。
病気を患うと、1人で生と死を考えるようになります。弱っていく体、痛み、苦しみ、心の闇は自分が耐えるしかありません。
●大谷直子 「振り込め詐欺」の被害にあっていた
大谷直子さんは、芸能活動を休んでいた間に「振り込め詐欺」の被害にあっていたそうです。
弁護士に頼らずに自力での裁判をしたそうですが・・・詳しい内容は2017年11月10日放送「爆報フライデー」で明かされます。
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