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女優の洞口依子さん(53才)は現在、『リンパ浮腫』という左足がむくむ謎の病気にかかっています。その裏には壮絶な『子宮頸がん』との闘病生活がありました。
洞口依子さんは個性的な演技の美人女優で、32才の時に夫と結婚。しかし38才の時に『子宮頸がん』を発症、手術で子宮と卵巣を失い、夫の子供を産めない体になってしまいました。喪失感からうつ状態や不安障害、激太りに悩まされますが、夫は笑顔で闘病生活を支えてくれました。
沖縄での療養生活を経て女優として復活。闘病をつづった著書『子宮会議』も出版するなど健康に過ごしていました。
しかし数年前に『リンパ浮腫』を発症。現在、その様子を2019年3月1日放送のテレビ「爆報フライデー」で明かします。
目次
●洞口依子 夫と結婚するまでのプロフィール(画像)
充麦パン
しみじみ美味。早春の三浦半島巡り https://t.co/YoF6J1hNo9
— 洞口依子 (@noranecotv) 2019年2月23日
洞口依子(どうぐち よりこ)
本名:葛西 依子(かさい よりこ)
出身地:東京都武蔵野市
生年月日:1965年3月18日
年齢:現在53才
職業:女優
ブログ:https://blogs.yahoo.co.jp/yoriko3182006
コラム:https://this.kiji.is/-/series/349819575909205089
洞口依子さんは小さな頃から自己表現の場を求めてる子供でした。
高校時代、縁があり写真家・篠山記信のスタイリストが営む喫茶店でバイトを始めると、そこに集まる文化人たちの影響を受け、自分でもガムの包装紙でブックカバーを作ったり創作意欲に駆られました。それを見た篠山記信さんが雑誌「GORO」「激写」モデルとして芸能界デビューされてくれたのが1983年でした。
自己表現の場を手にした洞口依子さんは女優としてさらに表現を磨いていきます。
1985年19才で黒沢清監督の『ドレミファ娘の血は騒ぐ』に映画初出演にして初主演。その後は映画「タンポポ」黒沢清監督や伊丹十三監督の作品の常連キャストとなり、ドラマも『女の人さし指』『オトコの居場所』など数多く出演。
1992ドラマ『愛という名のもとに』1997ドラマ『ふぞろいの林檎たちIV』などで30代前半で人気女優の仲間入りを果たしました。
●洞口依子が結婚した夫
1997年32才のとき、洞口依子さんと結婚しました。夫はNHKのディレクター葛西弘道さん。
公私ともに順調な日々が続いていきました。
●洞口依子 38才で【子宮頸がん】
2003年38才の夏頃から、洞口依子さんは生理不順が続き体調不良を感じますが、夏の疲れやストレスが原因だと思い込んでいました。
顔がガサガサして貧血で倒れることもありましたが、病院に行くのを先延ばしにしていました。
■38才で【子宮頸がん】
やっと病院に行ったのが2004年1月。しかし病院で検診したとき『子宮頸がん』を告知されます。がんの大きさは5㎝に達していて、ステージは1b2期、5年生存率は60~70%。
病院に行くのをためらっていた間に病状がかなり進行していたのです。「ガン=死」というイメージがあったから「私は死ぬんだな」と思いました。
■【子宮と卵巣の全摘出手術】
2月には子宮と卵巣、卵管、膣の一部、骨盤内のリンパ節までを一度に切除してしまう『広汎子宮全摘術』という8時間に及ぶ大手術を受けました。
■2か月の入院生活
手術の影響で排尿障害、尿失禁など合併症が出ました。洞口依子さんは4時間毎に自力で排尿し、残った分をカテーテルで導尿し排尿測定するリハビリを余儀なくされました。
また、手術後にリンパ節への転移が見つかり、放射線治療と抗がん剤治療を受けることに。
●洞口依子 【子宮頸がん】で子供を産めない体に
洞口依子さんと夫は、子作りに積極的な夫婦ではなかったですが、「いつか夫の子供を産めたら」と漠然と思っていました。
しかし子宮と卵巣を摘出したことで子供を産めない体になってしまい、夫の子供を産むことは諦めるしかありません。
入院中、更年期と重なっていたこともあり、夫の子供を産めない喪失感がうつ状態や不安障害をもたらしました。
さらに卵巣を摘出したことによるホルモンバランスの崩れによって体重が急激に増加。20kgも激太りして体重は70kgになり女優業の大ピンチです。
夫にきつく当たることもあったので洞口依子さんは離婚を考えましたが、夫は理解のある人でずっと笑顔で支え続けてくれました。
●洞口依子 沖縄で1か月の療養生活
2004年4月に退院。しかし今度は末梢神経障害、深い絶望感に襲われ、酒浸りとなり道路で車に体当たりしようと〇殺未遂を起こします。子宮と卵巣を失い、女性として「何も感じなくなってしまった」喪失感は相当なものでした。
5月に女優業を再開しますが、手足のしびれ、自分では起き上がることが出来ないので、車椅子で収録現場に通う状態でした。
■沖縄で1か月の療養生活
再起のきっかけは、沖縄で1か月の療養生活。
8月に沖縄の友人宅を訪ね、自然に身を任せて思い切り楽しみました。
歩いて、海で泳いで、見て、触れて、喜びがあふれていき、「生きなきゃいけないんだ」と思えるようになったのです。
●洞口依子 復活!
2004年秋には闘病生活を公表。体調は一進一退でしたが、夫や周囲に支えられました。ダイエットにも成功し、ホルモンバランスの崩れやパニック障害も治まっていきます。
2006年、ネットシネマ『マクガフィン』でついに女優復帰!監督は洞口依子さんを復活させるためにあえて妊婦の役をあてました。洞口依子さんは子供を産めない体になりましたが、女優として色々なものを生むことができることを実感できて喜びました。
その後「20世紀少年<第1章>終わりの始まり」などいろいろな作品に出演。
■著書『子宮会議』を出版
ブログや新聞の夕刊コラムで、術後の後遺症など闘病生活を実直に綴る表現活動も始めました。
2007年6月1日には、それらをまとめた著書『子宮会議』を発売。イベントでは予防の為の検査をするよう呼びかけています。
また『子宮会議』のリーデングと、ギターとのライブで、同じ病と闘っている女性たちに応援エールを届けています。
こうして10年くらいはがんが再発することもなく健康に過ごすことができました。
●洞口依子 現在は手術の副作用「リンパ浮腫」を発症
そんななか2016年、警戒していた『リンパ浮腫』を発症しました。
※『リンパ浮腫』とは、リンパ節郭清(手術の際、がんの転移が疑わしいリンパ組織を切除すること)の副作用として発症する浮腫です。
発症しない人・治療後すぐに発症する人・10年後に発症する人、いろいろな場合があるのですが、洞口依子さんはまさかの10年後に発症だったのです。
突然、左脚が異常に膨れ上がりました。リンパ液が上に上がらずどんどん下に溜まり、水風船がたまるようにむくみました。
『リンパ浮腫』は一度発症すると完治は困難なので、これ以上悪化させないためにリンパ浮腫専門のリハビリに通っています。
治療は専門の医療技術が必要なマッサージもありますが、施術者が少ないので予約が取りにくいのが現実。
洞口依子さんは浮腫に効果があるという『医療用の弾性ストッキング』を常用していますが、とにかく圧が強力で履きにくく、値段も1足数万円で高い!
国の保険で何割か補助が出ますが、その都度書類を書いて申請許可を得ないといけませんし、1年に2~4本という数量上限もあるので、穴が開いたり多少緩んでも大事に履くことになります。
そんな大変な状態でも、2017年にはマーティン・スコセッシ監督の映画「沈黙―サイレンス―」に出演するなど現在も女優として表現し続けています。
●日本人女性のがん検診率は低い
女性特有のがんである『子宮頸がん』の原因は、ヒトパピローマウイルス(HPV)の感染。性体験のある女性なら6~8割の確率で一生に一度は感染するというありふれたウイルスです。
病気やストレスで免疫力が落ちていると『前がん状態』になり、そこから『がん』に変異する場合があります。
『乳がん』と同様に『子宮頸がん』も日本人女性の検診率は低く、無料で検診を受けられるクーポン券の利用者は2年間で24.3%にとどまっています。
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