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元女優の折原真紀さんは現在、病気「腰椎すべり症」の大手術をして数か月後だとブログ「日付のない日記」で明かしています。3月8日放送の爆報フライデーでは「元美人アイドルO」「謎の病気」「生死をかけた大手術」と紹介されるようです。
折原真紀さんは70年代に女優として活躍すると僅か4年で引退し、旦那と結婚してブティック経営をしていました。しかし子供が1才過ぎたころ旦那は舌ガンを発症し、闘病24年の末、2015年に死去。夫婦で経営したブティックも赤字から抜け出せずに2017年には閉店しました。
旦那がガンで死去し、旦那と頑張ったブティックが閉店だけでも不幸の連鎖がすごいのに、今度は病気「腰椎すべり症」で大手術です。
壮絶な人生を送る折原真紀さんですが、ブログ「日付のない日記」の画像はどれも笑顔なんです。
目次
●折原真紀 プロフィール(画像)
名前:折原 真紀(おりはら まき)
生年月日:1955年
年齢:64才前後
出身地:岩手県
折原真紀さんは1974年19才のとき、デビュー曲「恋のとびら」でアイドル歌手として芸能界入り。
その後、女優として映画やドラマに出演し、
刑事ドラマの名作「太陽にほえろ」にゲスト出演したり、1978年22才で人気ドラマ「がんばれ!レッドビッキーズ」で美人警官役を演じるなど活躍しました。
人気雑誌「平凡パンチ」で見開き2ページのコーナーを持ち、加山雄三さんやユーミンにインタビューしたこともあります。グラビアもやっていました。
しかしデビューからたった4年でいきなり芸能界を引退!
●折原真紀 引退後は結婚してブティック経営
1981年3月10日26才のとき、折原真紀さんは結婚。旦那は同じ岩手県出身の幼馴染で一般人と晴司さんです。そして岩手県で暮らし始めました。
↓旦那の画像
■ブティック経営
旦那の実家は洋服屋だったのですが、結婚1年後に倒産してしまいます。
すると若い折原夫婦を見込んだメーカーたちの協力で、従業員としてブティックを任されることに。
3年後、売り上げが順調なことを評価されて折原夫婦はブティックのオーナーとなりました。ただ旦那の両親の借金を返済しながらの赤字からのスタートです。
●折原真紀 子供も生まれブティックも順調だったが、旦那がガンに
■子供は双子の男の子
結婚6年目頃の32才頃には子供を妊娠。なんと双子の息子たちでした。
※双子は、プロ野球選手の大谷翔平さんと地元が同じで、中学校が近所だったそうです。年齢は大谷翔平さん(24才)より3学年上なので現在26~27才?
■ブティックも順調
岩手県奥州市でオーナーになった店の名前は「ソフィア」。ブランド物の人気婦人服を東京で買い付けるから、商品は高級品ばかりです。
当時はバブル時代だったこともあり経営は右肩あがり!最盛期には7店舗をもち年商最大2億円を誇りました。東北で一番の洋服屋になろうと夢は広がっていきました。
しかしそんななか・・・
■旦那がガンに
子供たちが1才を過ぎた頃、旦那にガンが発覚。37才の若さで余命1年を宣告されました。折原真紀さんはブログ「日付のない日記」のなかで旦那の病気のことを明かしています。
実は旦那はずっと痛みを感じていたのですが、折原真紀さんが妊娠中だったからずっと我慢していて、そして子供たちが1才過ぎると「もう、痛くて2階から飛び降りたいくらいだ!!」と涙声で訴え、大きな病院で診てもらってガンがわかったのでした。
ステージ3の舌ガンだったため、舌の1/3の切除を言われ夫婦はショック。涙を流し手術前は人目も気にせずキス。
しかし1年後に再発し、舌を半分切除。味覚がなくなり会話しづらくなりました。残酷な病気です。
その後は何度も手術と入退院を繰り返し、舌はほぼ全切除。飲食は困難になり、会話はボードに書いて筆談に。
折原真紀さんはブティック経営・子育てをしながら、旦那の闘病を支え続けました。
●折原真紀 旦那が死去、ブティックは閉店
2000年代に入るとユニクロなど低価格のファストファッションブームが到来。
それが原因で値段の高い高級服は売れなくなり、7店舗もあったブティックは経営不振に陥ります。
気づいた時には本店1店舗だけとなり、借金地獄でした。
■旦那が病気で死去
旦那は30回以上の入退院と10回の手術を繰り返し、闘病生活を続けました。
しかし2015年10月3日、ついに力尽き死去。闘病は24年間に及びました。
最愛の旦那を失い、折原真紀さんは抜け殻のような状態に・・・
■ブティック閉店
旦那の保険金で借金を返済し、なんとかブティック経営を続けましたが、1年以上続く赤字から脱却できず、折原真紀さんは2017年3月での閉店を決意します。
2017年1月、閉店セールを行い値段を50%OFFに。初日で約87万円を売り上げ、3月の最終日には多くの来店があり目標700万円を超える953万円を達成しました。
●折原真紀 現在は腰の病気
折原真紀さんはブティックを閉店後、時間が空くのが怖くてアメリカや国内旅行をしました。2018年5月からは仙台にマンション購入して、仙台と実家の岩手を行き来しています。
その一方で、折原真紀さんはずっと何年も腰痛に苦しんできました。
どこに行くにも痛み止めとシップが必要で、座っても寝てもつらく、痛み止めもあまり効かない状態。500m歩くのも大変となり、病院で検査した結果
腰椎すべり症(脊柱管狭窄滑り症)という病気だと判明
■腰椎すべり症とは?
積み木のように連なる腰椎が、文字通り前方へ滑り出してしまい、様々な症状を引き起こす病気です。
大きく背骨や椎間板などの変性によって起こる「変性すべり症」と、腰椎分離症に続発する「分離すべり症」とに分けられます。原因は違いますが、それぞれ出現する症状はほとんど変わりません。
4番目の腰椎に好発し、診断にはレントゲンやMRI、CT検査に、場合によっては造影剤などを用いた検査を行います。
症状としては、まず腰痛と坐骨神経痛があげられます。すべりが強度になってくると、腰椎の後方を走る脊髄神経が圧迫され、下半身に痛みやしびれが出現します。
また、長い距離を歩くと痛みやしびれが出現し、かがむことで楽になる「間欠性跛行」と言う症状も多く見られます。
2019年3月8日「爆報フライデー」では「精神安定剤が手放せない謎の病」として詳しく紹介されるようです。
●折原真紀 腰の病気「腰椎すべり症」で手術
病院は都内にある国際医療福祉大学 三田病院という、窓からでっかく見える東京タワーは折原真紀さんの心の癒しにもなりました。
2018年10月4日から1週間検査入院
2018年10月25日から手術に向けて再入院
2018年10月29日に手術
2018年11月19日に退院
という日程でした。
手術は折原真紀さんのブログ「日付のない日記」によると、全身麻酔をかけ、お腹の横から切開し、 背骨に人工骨を入れ、ボルト4本でずれた部分をギリギリと元の位置まで戻す、という内容。想像するだけでゾッとする大手術。
2019年3月8日「爆報フライデー」では「命の危険がある大手術にスーパードクターが挑むが大きな壁が!」と紹介されるので、大変な手術だったとわかります。
番組予告では「果たして手術は成功するのか!? 」とありますが、手術は成功しています。
同じ病気で悩んでいて手術を躊躇している人は、励みになるかも。
3月6日現在は、長い時間歩くことは出来ないものの、神経に当たる痛みがなくなったと、ブログ「日付のない日記」で明かしています。
●折原真紀 現在は本当にやりたいことをやる
折原真紀さんが夫婦で夢をもってブティック経営をしましたが、やりたかったことではなく、旦那の実家の洋服屋が倒産してしまい、東京で働こうかと思っていたらメーカーから声がかかったという経緯です。
ブティックを閉店した折原真紀さんは、今後は本当にやりたいことをやろうと決めました。
それは歌でした。
2019年3月6日には歌の勉強をするためボーカルスクールに通い始めたことをブログ「日付のない日記」で明かしています。音符も読めないし楽器も出来ないと自虐してますが。
YouTubeやFacebookには楽しそうにカラオケを歌った動画をたびたび投稿しています。
歌が好きなことが伝わってきます。歌手として活動できるようになったら素敵ですね。
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