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2020後期朝ドラ「スカーレット」の実在モデルが陶芸家の神山清子さんだそうで、どんな人なのか?知りたくないですか?
夫や息子など家族はいたのか、いつ頃に結婚して子供は何人いたのか?
神山清子さんは実は女性陶芸家の草分けである一方、「骨髄バンク」設立に力を尽くしたのはなぜでしょう?理由を知りたくなる人も多いと思います。
そこで今回は、「スカーレット」の実在モデル・陶芸家の神山清子さんの夫や息子、そして「骨髄バンク」設立に尽力した理由について紹介します。
目次
●神山清子は陶芸家になる経歴がスゴイ
名前:神山清子(こうやま きよこ)
本名:金場清子
生年月日:1936年8月2日
年齢:82歳
出身地:長崎県
職業:陶芸家
■若い頃 幼少期
神山清子さんは1936年(昭和11年)長崎県佐世保市にて、父親と母親トミさんのもと「金場清子」として生まれました。3姉妹の長女で繁美さんと静子さんという妹が2人。
幼少期は戦時中で、福岡県直方市の小学校に入学しますが、金場清子さんは学校でイジメにあっています。この頃の日本は日韓併合中の時期で、炭鉱で朝鮮人がたくさん働いていました。父親は朝鮮人たちと親しく苗字が「金場」だったから朝鮮人だと誤解されてイジメられたのです。
ある日、炭鉱労働が苦しくて脱走した朝鮮人たちを父親が手助けすると、警察に追われるハメになり、家族ともども炭鉱町から逃げ、九州や近畿を転々と逃げ回ることに。
逃亡生活中は、朝鮮人たちが匿ってくれました。戦争末期に滋賀県の日野町、戦後を迎えた小学3年生11才で朝ドラ「スカーレット」の舞台である陶芸の里「信楽」に落ち着いたのでした。
■若い頃 10代
信楽の中学校を卒業して和洋裁学校へ進学。本当は美術系の大学に進学したかったのですが父親の許しがもらえませんでした。
和洋裁学校を卒業後、陶芸と出会います。陶芸の里「信楽」は街中に陶器があふれていたので陶器の絵付け助手として工房で働き始め、その後、陶器会社「近江化学陶器」に入社。
■若い頃 女性陶芸家のパイオニア
「NHK連続テレビ小説「スカーレット」が、現在放送中の「なつぞら」に続いて9月から放送される。女優の戸田恵梨香さんが演じる主人公、川原喜美子のモデルとされる神山清子さん(82)は、信楽焼の女性陶芸家の草分けとして男社会だった陶芸の世界で輝きを放ってきた。」 https://t.co/5y7b3Oci1G
— ハマの隣人 (@hamanorinjin) June 6, 2019
1963年(昭和38年)27才のとき神山清子さんは一大決心!自宅を工房にして独立し、陶芸家として作陶を始めます。
工房近くの古代穴窯から見つかった「自然釉(しぜんゆう)」の古信楽(すり鉢や壺)に魅せられ、同じものの再現(人にまねできない作品)に挑戦!
「自然釉(しぜんゆう)」とは、土の長石成分(ガラス質など)と薪の灰が化学反応を起こして絶妙な色調であるガラス質の緑色になります。大昔の信楽焼は穴窯で焼いて自然にできた色であり、これを復活させるのが使命だというアツイ想いがありました。
しかしこの頃は女性が窯場に入ると「けがれる」と言われ、窯焚きをする女性はいない時代でした。
それでもあきらめず、試行錯誤のすえ神山清子さんオリジナルの窯「寸越窯(ずんごえがま)」を使って、「信楽自然釉」作品作りを成功させます。
1966年(昭和41年)30才で滋賀県展ほか、数々の展覧会に入選。
1975年(昭和50年)39才で「信楽自然釉」を発表し、途絶えていた古信楽の再現に成功し、自然釉薬を使った陶芸家の第一人者となりました。
こうして神山清子さんは女性陶芸家の草分けとなり、後進に勇気を与え、スペインや台湾など海外でも個展を開くまでになったのでした。
なんだか神秘的できれいです!
●陶芸家の神山清子の夫はゲスだった
神山清子さんの夫は、陶芸家の神山易久(こうやま・やすひさ)さん。
■夫との馴れ初め
出会いは神山清子さんが陶器会社「近江化学陶器」に入社1年目でデザイン部の主任的ポジションに就いたとき、別の部署から異動してきたのが夫・神山易久さんでした。
神山易久さんが絵付き師である神山清子さんの絵を褒めてくれたので好意を持ち、交際に発展。
21才のとき結婚。娘の久美子さんと息子の賢一さんという子供2人を授かり、子育てしながら働き続けました。
■夫との離婚理由がゲス
27才のとき自宅を工房にする一方で、真剣なあまり「焼きが足りない」と厳しいツッコミを入れたりする神山清子さんに夫は「女を窯に入れるんじゃなかった。いつまでも夢見てんな」と冷たくなっていきました。
そして夫が浮気相手を連れて家を出ていき家庭崩壊。浮気相手は若い女性スタッフのユキで、知らなかったのは神山清子さんだけで、スタッフは浮気をみんな知っていたのです。
一方、信楽焼の窯元連合会の役員会は、女性が窯元になるのを許さず、神山清子さんは連合会からも外されました。
神山清子さんは一気に貧乏に。夫はスポンサーがついてるから仕事に困らず恵まれてますが、2人の子供は浮気した父親を許さず母親のもとに残りました。
■夫との離婚で貧乏になるが
支払いの催促に追われ、パンの耳を炒めて食べる貧乏暮らし。長男・神山賢一は空腹に耐えられず、インスタントラーメンを万引きしたり。
見かねた先輩陶芸家の石井さんがコーヒーカップ1000個の仕事をまわして助けてくれました。
そんななか金持ちから再婚の話が舞い込みますが、結婚するなら財産を娘に渡して裸一貫になって一緒に貧乏になってやり直してほしいとありえない条件を出して、見事に破談します。
そんななか「よっしゃー!」ついに「信楽自然釉」焼けて神山清子さんは号泣。展示会を開くと、信楽焼の窯元連合会の役員会は態度を一変し、神山清子さんが窯元だと認め、借金もチャラになったのでした。
●陶芸家の神山清子 子供たち
神山清子さんの子供は2人。娘の久美子さんと息子の賢一さん。
■娘の神山久美子
長女で賢一さんの姉。
高校卒業後は、就職や結婚を考えて短大へ進学して信楽を出ていきます。神山清子さんはお金がかかるから不合格を望んでいたようで親子関係は不仲でした。
その後、結婚して一児の母となり、神山清子さんとはずっと不仲でしたが、弟の亡くなる頃には不仲を解消しています。
■息子の神山賢一
長男で久美子さんの弟。
高校卒業後は陶芸家を目指しましたが、神山賢一さんが「信楽自然釉」を完成させたあと、29才で慢性骨髄性白血病を患い、2年間の闘病を経て31才の若さで死去しました。
そんな賢一さんについて詳しく紹介します。
●陶芸家の神山清子の息子・賢一
高校卒業後は陶芸家を目指し、陶器作りを学ぶ学校(窯業試験場)へ行き、同級生のミドリさんと出会い恋人関係になります。賢一さんはバイクを欲しがりましたが貧乏で買えないので、ミドリさんのバイクに乗ってデート。
ミドリは賢一の才能を認めますが神山清子さんは認めず、ふてくされてパチンコ通い賢一に「パチプロになれ」と専門書を渡したり突き放しました。
神山清子さんは息子の作品に対して「見栄を気にしてる。自分を捨てないと良い作品はできない」「自分を捨てるからこそ自分が出せる。自分捨てきれた時が一番強い」「親の七光りで世間に出ても仕方ない」と厳しく指導。
■慢性骨髄性白血病
そんななか賢一さんは腰に激痛が走り倒れ、検査の結果、慢性骨髄性白血病でした。助かる道は骨髄移植ですが、HLA(白血球の型)が一致するドナーでないといけません。
治っても子供作れない体になるので、ミドリさんに十字架背負分けるわけにはいかないので、神山清子さんは息子と別れてもらいました。
■ドナー捜し
神山清子さんは絶対ドナー見つける決意。自分のも娘のも妹の倉垣幸子さんのも適合しなかったので、薪の納品業者や町中をまわりましたが、みんな不適合・・・。すると有志が「賢一を救う会」を設立して街頭で協力を訴え、町長にも先頭に立ってもらいました。
数か月後、症状が安定したので自宅療養となった賢一さんは「天目茶碗」の作品作りにチャレンジ。一方で、賢一さんはテレビ出演してアピールして白血病への世間の関心を集めました。
「賢一を救う会」のおかげで採血する人は増えましたが検査料が1人13000円、3000人で3900万円かかるので支払いが限界を超えて1000万円足りない事態に。有志代表は泣いて頭を下げて謝罪し「賢一を救う会」は無念の解散。
当時の日本にはまだ骨髄バンクがなかったので「骨髄移植とドナーバンク」シンポジウムで賢一さんは講演をして骨髄バンクの必要性を訴えたり、全国の白血病患者を勇気づけていきました。
神山清子さんはドナー探しを通して骨髄移植を待つ患者が多くいることを知り「骨髄バンク運動」を全国に広げていきました。
■骨髄移植の手術
そんななか賢一さんが「天目茶碗」を作りましたが倒れてしまいます。ドナーは見つかってないですが、神山清子さんの妹・倉垣幸子さんの骨髄移植をすることに。6つ条件のうち5つを満たしていて、それで生還した前例もあるからです。可能性に賭けました。
骨髄移植の手術は無事終わりましたが、賢一さんは激しい体の痛みに襲われ、薬を飲むこともトイレも苦しく、髪は抜け、無菌室から逃げ出したくなりますが、頑張って一般の病室に移ることができました。
そんななかついに「骨髄バンク」が設立されニュースになりました!
■再発・・・死去
しかしその後、再発。もう助かりません。賢一さんは下半身が動かなくなりました。見舞いに来た姉に「母親と仲良くしてくれ」と頼む、姉は素直に聞き入れました。
賢一さんは病院で27才の誕生日を迎え、みんなで祝い、神山清子さんは息子のために焼いた壺をプレゼント。
骨髄バンク設立から4か月たってもまだドナーの数は足りないことを、賢一さんはテレビでアピールします。
最期の日、賢一さんは「怖い怖い」と怯えつつ神山清子さんに「ありがとう」と言って、血を吐いて死去しました。
享年31才。発病から2年後でした。
●陶芸家の神山清子 現在は何してる?
神山清子さんは現在も陶芸家であると同時に、骨髄バンク運動もつづけています。
工房のある自宅は甲賀市信楽町勅使にあり、現在「滋賀骨髄献血の和を広げる会」の代表を務め、献血会場などで骨髄バンク登録を呼びかけたり、滋賀県の各地で「ドナー登録説明会」を開催しています。将来はiPS細胞(人工多能性幹細胞)を使った新しい治療方法に期待しています。
■滋賀骨髄献血の和を広げる会
住所 滋賀県甲賀市甲南町耕心 3-1023-20 片岡様方
電話 0748-86-0694
FAX 0748-86-0694
現在ボランティア募集中!
2006年に福祉賞を受賞したときには神山清子さんはこんなことを言っています。
「複雑です。打ち込んできた陶芸以外で賞をいただいて。
でもこれは、私の人生を懸けた運動です。」
●まとめ
「スカーレット」の実在モデル・陶芸家の神山清子さんの夫や息子、そして「骨髄バンク」設立に尽力した理由について紹介しました。
何事にも一生懸命な姿勢は尊敬できますね。
厳密には「スカーレット」のヒロインのモデルではなく、子育てと陶芸家を両立する神山清子さんを深く取材して参考にしたそうですが、どんなふうに放送されるのか楽しみですね。
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