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国際的な活躍を見せるダウン症の書家・金澤翔子さんの父親はいくつも会社を経営する社長でしたが、娘が14才のときに突然亡くなっています。
般若心経の字を誉めてくれた優しい父親が突然亡くなった死因はなんだったのでしょう?
一方、母親の泰子さんは金澤翔子さんとともにテレビ出演や講演など一緒に人前に出て行動してるので顔もよく知られていますが、検索ワードにある「エルメス」と「病気」が気になります。
「エルメス」は母親の泰子さんがフランス文学に憧れサロン成功したことと関係があるのでしょうか?
※ダウン症とは、遺伝情報を伝える22対の染色体のなかで、一番小さな21番染色体が1本多いことが原因。発達障害や先天性の心臓病を合併する場合もある。
目次
●【ダウン症の書家・金澤翔子】父親の死因は突然の・・・
父親・裕さんは母親・泰子さんより5才年下。家業を継いだ実業家で、いくつもの会社を経営するやり手の社長でした。
寒河江八幡宮 (山形県寒河江市八幡町5ー70) で金澤翔子展かあります。
7月12日(金)〜7月21(日)までです。7月13日(土) 14時から翔子の揮毫があります。
山形県にいらして下さい‼️ pic.twitter.com/Ibru3uZZli— 金澤翔子 公式ツイッター (@shoko_kanazawa) July 11, 2019
金澤翔子さんの父親・裕さんは、生まれた娘がダウン症だと医師から告知されたとき、現実を受け入れています。
医師は、化膿菌が血管やリンパ管中に入って起こる病気『敗血症』のため交換輸血が必要だが、ダウン症のため知的障害もあるから、そこまでして命を助けなくてよいのでは?と提案しましたが、クリスチャンだった父親・裕さんは断り「僕は神の挑戦を受けるよ」と娘を助けることにしたのでした。
ただ母親の泰子さんに伝えるとショックだと思って、出産から1カ月半は父親・医師・看護婦はダウン症を隠していました。あとで知った母親泰子さんは娘と一緒に死のうと思ったほどショックを受け、父親・裕さんの決断を「なぜ助けたのか」と思ったのでした。
5才から書道を始め、小学校時代に271文字の般若心経を練習したとき、父親・裕さんが字を誉めたことを翔子さんは今でも覚えています。
■父親の死因
しかし父親・裕さんは、金澤翔子さんが14才のときに突然死去・・・死因は心臓発作・・・享年52才でした。
■個展は父親との約束だった
父親・裕さんは生前、翔子さんが20才になったら「ダウン症でも立派な字を書ける」とお披露目しようと話していました。
その約束があったがら、20才で初めて生涯1度だけと銀座で個展を開いたのですが、マスコミが報道していたため2000人以上が訪れる大盛況。全国からダウン症を持つ母親たちが来て、翔子さんの作品を見て感動で泣いたのでした。
■父親は東大寺の大仏に似てる
父親・裕さんが亡くなった少しあと翔子さんは中学の修学旅行で東大寺に行き、大仏が父親に似てると思いました。
今日早朝、東大寺では大仏さまの「お身拭い」を行いました。僧侶や職員・信者さんなど約170名で作業を進め、9時30分頃にはいつものお姿に戻られました。毎年8月7日で、7時30分からは一般の方も見学可能です。 #奈良 #東大寺 #大仏さま #お身拭い #仏像 pic.twitter.com/sgP9x7gD1o
— 森本 公穣 @東大寺 (@kojomrmt) August 7, 2019
それからは大仏を見ると「お父様がいる」と反応するようになり、2011年12月には東大寺で個展を開いています。
現在、金澤翔子さんの1人暮らしの自宅には、白い棚の上に父親・裕さんの遺影が供えられていて、食事のときは「お父様、一緒に食べましょう。いつも天国から見守ってくれてありがとう」と語りかけながら目を閉じ、手を合わせます。
●【ダウン症の書家 金澤翔子】母親・泰子はエルメス好きで病気?
9/20 (金) #中居正広の金曜日のスマイルたちへ
ダウン症書家 #金澤翔子20:57 MBS毎日放送
金スマは女性視聴者の声を元に女性のためのキャンペーン企画を打ち出して世の中の女性の皆様に楽しみながら思いっきりストレスを発散していただこう…という番組だよ! #中居正広 #forjoytv #variety pic.twitter.com/SZOtwo5f4L— ForJoyTV- 海外で日本のテレビ (@ForJoy_TV) September 19, 2019
■母親は3度の流産を経て高齢出産
母・泰子さんは1985年6月12日に42才の高齢出産で金澤翔子さんを出産してますが、3度の流産を経ての念願のわが子でもありました。ただ新生児期に敗血症にかかったため帝王切開で出産し、翔子さんはそのままずっとカプセルへ。
1か月半後、翔子さんがダウン症だと知ったとき、背筋が凍り苦しくて号泣。
現在ならダウン症や障害者でも希望が持てる社会ですが、当時は障害者に未来はないという時代。医師さえダウン症に誤解が多く「知能がなくて歩けない」と言ったので、母・泰子さんは日本一不幸だと思ったのでした。
■心の底では我が子を愛していた
ダウン症になった原因は高齢出産した自分のせいだと考えたり、ダウン症の子供を持つと家族を苦しめると思い、一緒に死のうと思いました。
【1回目】ミルクを薄めて衰弱死させようとしたが可哀そうで出来なかった。ダウン症独特の可愛い笑顔で手を広げると「お母さんがんばれ」に見えた。
【2回目】事故を装って坂の上からベビーカーを落とそうとしたが出来なかった。
【3回目】地震が起きたらマンションのベランダから落とそうと考えていたら本当に大きな地震が起きた。すると寝ている翔子を抱いて守っていた。
結局は心の底では我が子を愛してると気付き、育てていく決意をしたのでした。
母親・泰子さんはもともと『知的ではないものは美しくない』というプライドの高い人でした。しかし知能指数の低いダウン症の子供を育てたことで、心が平安になり生きやすくなったそうです。
■書道を教えてきっかけは
翔子さんが小学校の普通学級に決まったので、5才からクラスメイトと一緒に自宅の書道教室で教え始めたのでした。目的は友達作りだから優しく指導です。
しかし小学4年生の新しい担任から普通学級は難しいから特別支援学校に行ってほしいと言われてしまいます。
学校を探した4~5か月間で、270字の般若心経を今度は厳しく指導しました。目的は、障害者は孤独の時間が多いだろうから孤独に耐えられる強い人間に育てるためでした。
■母親はエルメス好き?
母親・泰子さんはネットの検索ワードに「エルメス」とありますが、エルメス好きなのでしょうか?
今のところエルメスに関連する情報はないです。
母親・泰子さんの実家は千葉県山武市の旧家で、父親は国鉄(現JR)に入社した鉄道オタク、母親は慶応大学の医学部出身でモダンで自由奔放でオシャレ。5人兄弟の3番目として生まれ、お手伝いさんもいたので、けっこうお金持ちだったみたいです。
大学は猛勉強して東京の大学に行って1人暮らし。戦後の文化人が集った伝説のサロン「風月堂」で若さと才能にあふれた人々と出会い刺激的な毎日を送ります。
フランス文学に憧れていた泰子さんは30才で銀座に文化的なサロンをオープンすると、文学・美術界のビッグネームが常連となり大繁盛で怖いものなしでした。
そんな経歴の持ち主なので、フランスのブランドであるエルメスと関係があってもおかしくないですね。ただいつも着物姿なのでエルメスの服を着てるとは思えないですが。
現在の自宅も大田区の高級住宅地・久が原に立つ邸宅なので、お金持ちですね。
■母親は病気?
「エルメス」以外にも検索ワードに「病気」とありますが、母親・泰子さんが病気だという情報はありません。
娘の翔子さんが生まれたとき、化膿菌が血管やリンパ管中に入って起こる病気『敗血症』を患っていたので、この病気とごっちゃになってるのかもしれません。
ただ母親・泰子さんは生年月日1943年12月15日で、現在の年齢が75才です。
ぜんぜん元気に見えますが、高齢者ですから何かしら病気を抱えていても不思議ではありません。
●最後に
母親・泰子さんは生まれてくる子供が男の子なら『日本一の能楽師』に、女の子なら『日本一の書道家』にしようと希望に胸を膨らませていました。
ところがダウン症とわかり『日本一の子に』という希望は消え去ったといいます。
しかし現在、娘の翔子さんは見事『日本一の書道家』になったのでした!
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