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天才数学者・岡潔さんは偉大な功績だけでなく、普通の人は言わないような天才ならではの名言をたくさん残しています。
一方で、これは天才ならでは?と思えるような奇行でも有名。数学者としてあまりに純粋すぎて、一般人からしたら奇行にしか思えない行動が目立ちます。
さらに不思議な予言もしていて、太陽の神・アマテラスが降臨すると予言していたんです。いったい何のことでしょう?
目次
●岡潔 天才数学者の名言がコレ!
天才数学者・岡潔さんは、普通の人は言わないような、天才ならではの名言をたくさん残してるので、その中から一部の名言を紹介します。
■名言:「僕は論理も計算もない数学をやってみたい」
第三高校時代、友人に言った高校生離れした言葉。岡潔さんは目に見えない数学の本体に迫ることと情緒の探求が表裏一体だったそうです。
■名言:「プラスの日」「マイナスの日」
朝起きるとすぐ自分の精神状態を分析してこう呼びわけたそうです。
■名言:「数学は生き物です」
■名言:「数学をするには、まずその人が出来なければならない」
学生に対しての言葉
■名言:「数学のもとになるのは頭ではない、情緒だ」
■名言:「数学は印象でやるもので、記憶はかえって邪魔になる。忘れれるものはどんどん忘れていく。これが極意です」
■名言:「人は極端に何かをやれば、必ず好きになるという性質を持ってます。好きにならないのがむしろ不思議です。」
■名言:「こういう世相にあって、のんきな数学などは必要ないと思う人もいるかもしれません。しかし数学というのは闇を照らす光なのであって、白昼にはいらないのですが、こういう世相には大いに必要となるのです」
■名言:「数学とは生命の燃焼です」
文化勲章を受章したとき天皇陛下から「数学とはどういう学問?」と聞かれたときの返事。
■名言:「知や意は、情という水に立つ波のようなもの」
■名言:「人の中心は情緒である」
岡潔さんは「情緒」という本当にを大切にしていて、晩年執筆した本のタイトルも「情緒と創造」「情緒の教育」「情緒と日本人」など「情緒」がたくさん。
■名言:「とうとう解けなかった問題が2つある」
死ぬ間際の岡潔さんらしい一言。最後の最後まで数学者でした。
●数学者・岡潔 天才ゆえの奇行
岡潔さんは数学者として純粋すぎるからか、天才ゆえの奇行が目立ちました。数学に夢中になり過ぎて心の病気にもなっていたので、もしかすると奇行は病気が原因という噂も・・・。
■奇行:第三高校3年間、一度も歯ブラシを使わなかった。
口臭が気になります。
■奇行:京都大学の講師時代(20代)、数学の演習中に岡潔さは考え出すと微動だにせず、時間を気にせず夜の8時頃になることもたびたびあった。
学生たちはどうしたのか気になります。
■奇行:広島の助教授時代(30代)、授業がデタラメすぎて学生からクレームがきた。数学の研究で頭がいっぱいだったことが原因みたいで、その後精神バランスを崩します。
もはや芸術家のようです。
■奇行:奈良女子大の教授時代(50代)、勤め先の奈良女子大まで歩いていく途中にあるお地蔵様に、道端の石を投げてうまく当たればそのまま大学に行き講義をするが、当たらなければ家に引き返してその日は休講になってしまった。
どんな意味があったのでしょう?これは都市伝説っぽいです。
■奇行:タバコとコーヒーが大好きで、食事もせずに思索にふけっていた。
夢中になりすぎて食事をしない人はけっこういますね。
■奇行:いいアイデアが浮かぶと散歩中だろうがいきなり道端にしゃがむこんで石や木を拾い、難しい数式を描き込んでは計算を始める。解けるまで1時間でも2時間でもしゃがみこんで計算してるから、通行人が驚いた。
今なら警察に職務質問されそう。
■奇行:誰もいない道で突然、大演説を始めたり、小一時間も電柱に小石をぶつけたりしていた。
今なら警察に逮捕されちゃうかも?
■奇行:学会で突然立ち上がり「待て!その研究は方向が180度違う!」と叫び、「正しい方向はあっちだ!」と部屋の後ろを指さした
コントみたいで面白いかも。
■奇行:着物を着ても「交感神経を締め付けるから」と帯を締めない。
帯締めないと脱げそうです。
■奇行:スーツを着ても「こんな野蛮なことはせん」とノーネクタイ。(交感神経が締まって頭がまわらないから)
■奇行:ヨレヨレのスーツで帰宅し、風呂に入るまで着替えない。夜は着たまま寝床に入る
■夏でも長靴を履き、長靴が暑いからと冷蔵庫に入れて冷やして履くと気持ちいいとか。
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■結果、長靴にコウモリガサ、ヨレヨレのスーツにノーネクタイがトレードマーク
漫画に出てくるキャラみたい。
■奇行:電話は俗物として自宅に置くのを嫌がる
嫁のみちさん大変そう。
■奇行:革靴が嫌いで履かない。(履くと頭がガンガンするから考えがまとまらない)59才で文化勲章を授与するとき、革靴を履かせるのに家族は必死に説得した。
嫁のみちさん、大変だったろうなぁ
●天才数学者・岡潔 予言が謎めいてる
天才数学者・岡潔さんは、意味深な予言も残していました。
■予言:「2012年にアマテラスが降臨する」
アマテラスとは、日本神話に出てくる神・天照大神(あまてらす)のことで、太陽を司る神です。祭ってある神社は伊勢神宮が有名です。
2012年はもう終わってしまいましたが、明るいニュースは、ロンドン五輪で過去最多となるメダルラッシュ、東京スカイツリーの開業などがありました。
アマテラスが降臨とは何だったのでしょう?東京スカイツリーのことかな?
●天才数学者・岡潔 経歴プロフィール(画像)
名前:岡 潔(おか きよし)
出身地:大阪府大阪市生まれ・和歌山県紀見村育ち
生年月日:1901年(明治34年)4月19日
年齢:76才没
嫁:岡みち
子供:3人
岡潔さんは、寛治さんと八重さんという両親のもと、1901年(明治34年)4月19日に大阪市中央区島町で生まれ、すぐに父親の故郷・和歌山県紀見村に家族で引っ越しました。
■数学にハマったきっかけ
和歌山県立粉河中学校3年生のとき、岡潔さんは偶然、父親の書籍にあった数学者クリフォードの「数理釈義」を読んで夢中になり、毎日のように画用紙と定規とコンパスを用いて自分で定理を検証したそう。
高校は第三高校の理科甲類へ。
■京都大学時代
岡潔さんは京都大学の理学部へ入学。
数学の試験で難問の証明法を発見すると「わかった!」と叫んで周りを驚かせ、残りの試験を放り出して教室を出ていき、公園のベンチに寝そべって問題を解いた感動の余韻に浸ったそう。
この頃から天才ゆえの奇行が目立ち始めました。路地にしゃがみこんで一心不乱に地面に図形を描く姿を後輩が目撃しています。
■フランス留学で多変数複素函数論と出会う
卒業後、24才で京都大学理学部の講師となった岡潔さんは、嫁のみちさんと結婚。
28才で助教授になるとはフランスのソルボンヌ大学に3年間の留学へ。
3年間のフランス留学では論文も書かず、表面上は特に成果はありませんでした。
しかし岡潔さんは1日1食のストイックすぎるスタイルで生涯の研究テーマを探した結果「多変数複素函数論」に出会ったのでした。
■事件を起こして無職に
岡潔さんは31才で帰国し、広島文理科大学の助教授に。「多変数複素解析関数論」に取り組みました。
それから4年後の35才のとき京大教授の歓迎会に参加すると、精神病を患って行方不明になり、近所の中学生を襲って帽子や靴を奪い逮捕され、新聞で大きく報じられました。
当時「クザンの第二問題」の論文で数学のやりすぎで神経衰弱したのが病気の原因と診断されました。
精神病による事件のせいで岡潔さんは助教授を37才で休職し、最終的に39才で辞職を余儀なくされ、無職に。
■田舎に引きもった無職13年間
岡潔さんは故郷・紀見村に戻り、数学者として13年間、研究に打ち込むことになります。机のまえに正座して音もなく勉強。一方、無職2年目の40才で3人目の子供さおりさんが生まれてます。
13年間の間、岡潔さんは何度か精神バランスを崩して入院や療養をし、生活も苦しくなります。嫁みちさんもしょっちゅう胃が痛いと言っていたそう。
家族を養うため田畑や財産を売ったり、奨学金をもらって生計をたてました。家すら手放すと村人の好意で物置に住まわせてもらいました。
でも世間から隔離された世界は、岡潔さんにとっては独創的な発見をしやすい環境でした。おかげで41才までに三つの大問題を解決することができました。不定域イデアルの理論を開発して、内分岐域において解決。それが出来たのは嫁と子供たち家族、友人たちの支えがあったからこそでした。
■59才で文化勲章
苦しい13年間を経て、48才で奈良女子大学理家政学部教授に就任し、晩年まで奈良市高畑町に住みました。
岡潔さんの研究成果(論文)は難しすぎて理解する日本人は少なかったですが、世界で評価が高まり国内で認知度が上がっていきました。
フランス語で論文を発表していったが、ヨーロッパの数学者たちはその独創性に驚き「オカ・キヨシ」を日本の若い数学者の集団でないかと疑ったほどだった。専門家でも難解な論文で、一般人にはほとんど理解不可能な内容。だから業績のわりに有名にならなかったんです。
数学の神様ジーゲルはわざわざ奈良まで岡潔さんに会いにきて感激のあまり「オー、オカ・・・」と言って抱きついたとか。
1960年、59才で文化勲章を受章。
1978年3月1日76才で岡潔さんは亡くなり、5月26日には旦那の後を追うように嫁のみちさんも急死したのでした。
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