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天海祐希さん主演のSPドラマ「天才を育てた女房」のキャストとロケ地、あらすじと予告動画、原作実話ネタバレを紹介します。
ドラマ「天才を育てた女房」の原作は実話。モデルとなったのは、「多変数複素関数論」の三大問題を15年かけて解決した、日本が誇る天才数学者の岡潔さんと嫁・岡みちさんの夫婦。
岡潔さんは道端や壁に数式を書いたり奇行のある変人ですが、ヨーロッパの数学者が「チームで書いたの?」と思うくらい、1人で100年分の論文を書いた天才。しかしその功績は日本では誰もわからず、認められませんでした。最後は畑で農作業をしながら研究を続け、みちさんと子供たち家族がいて、この愛がなければこの功績はありませんでした。
キャストとロケ地、あらすじと予告動画、原作実話ネタバレするので、ドラマ「天才を育てた女房」に興味のある人は参考になったら幸いです。
実話をもとにストーリーを再構成し、岡潔さんの偉業を称えつつ、嫁のみちさんに脚光を当てる感動物語。岡潔さん1961年にも映画「好人好日」で実話モデルになってます。
目次
●ドラマ「天才を育てた女房」キャストとロケ地
■「天才を育てた女房」キャスト
■岡夫妻
● 「みっちゃん」岡みち(天海祐希)
旧姓:小山みち。大阪府河内柏原生まれ。1925年に潔と結婚し、子供は3人(長女・長男・次女)。性格はハイカラで好奇心旺盛で、目利きがあり、思いやりのある女性。子供を育てながらの生活に悩みつつも、数学に打ち込む旦那「きよっさん」をいつも見守り全力で信じ続ける嫁。
● 「きよっさん」岡潔(おかきよし)(佐々木蔵之介)
大阪生まれ和歌山育ち。京都帝国大学理学部卒。
フランス留学時代に、生涯の研究テーマとなる「多変数複素関数論におけるハルトークスの逆問題」を発案し、約15年の歳月をかけて三大問題を解決した。研究成果が難解すぎて国内で理解されなくても、数学を追及し続け、1960年文化勲章を受賞した。
■京都大学
● 岡潔の親友:秋月康夫(生瀬勝久)
数少ない親友の1人。潔の天才的な数学の才能を早くから認めてサポートした。
● 数学科教授: 木下雅則(立川談春)
潔の数学的発見をなかなか認めなかった一方で、潔の業績が世界に認められるきっかけになった人物。
■阪田夫妻
● 棋士:阪田三吉(笹野高史)
明治から昭和初期にかけて活躍した天才的将棋士。
晩年は目が悪く、北村眼科に通っていた。
● 三吉の嫁:阪田ユウコ(泉ピン子)
貧しい生活ながら夫の三吉を支えた。
■みちの姉夫妻
● 北村純一郎(内場勝則)
北村眼科医院を開業した
● 嫁:北村みよし(萬田久子)
性格はざっくばらん。みちの姉でよき相談相手。
■潔とみちの親
● 潔の父:岡寛治(寺田農)
潔に期待して金銭面で惜しまず援助した。
● みちの父:小山玄松(渡辺哲)
みちと潔の結婚に不安を抱いていた
■「天才を育てた女房」のロケ地はここ
ドラマ「天才を育てた女房」のロケ地は、埼玉県深谷市横瀬132にある「丸山酒造」です。たぶん岡潔さんの故郷で田舎生活するシーンの撮影で使ったのだと思います。
「丸山酒造」は埼玉県深谷市で昔ながらの酒造りで、地酒を製造・販売しています。
創業は明治9年。埼玉県熊谷市にある酒造を借りて酒造りをスタートし、お酒の名前は大相撲の金星にちなんで「金大星」。「造り酒屋として大成させていきたい」という想いも込められています。
その後明治16年、深谷市横瀬に場所を移し、荻野七郎兵衛の酒蔵を借り受けてあと、買い取って新築・修築をして現在に至ります。建物は創業時の面影を残しいていて、明治や昭和初期の映画やドラマの撮影にぴったり。テレビや映画などのロケ地で使われるそうでNHK-BSプレミアムの2016ドラマ「隠れ菊」のロケ地だったそう。
丸山酒造
めぐみ保育園の南。明治から昭和にかけて建てられた造り酒屋。
埼玉 近代建築 pic.twitter.com/6gqTX0ixcE— lssah (@ss1lssah) 2017年4月3日
●ドラマ「天才を育てた女房」あらすじ予告動画と、原作実話ネタバレ
「ここまで人を愛し、信じぬくことができますか?」
日本が世界に誇る天才数学者、岡潔。
晴れでも長靴を履き、ネクタイはしない。
天才ゆえに苦悩し、挫折し、数学という世界に閉じ込められてしまった男。そんな岡潔に振り回されながらも、
妻として夫を信じぬいた女性、岡みち。夫は誰からも認められず数学に打ち込むあまり家計は火の車。何の根拠も保証もない。そして愛する夫が目指しているものすら理解できない。
やがて、世界の難問に立ち向かい、一つずつ解決していく岡潔。しかし、数学界は彼の理論を理解できず、夫婦は、絶望と混乱の渦に飲み込まれる・・・
それでもみちは、
狂わんばかりの勢いで数学に取り組む潔の純粋さを理解し、
前向きに、ひたむきに、
数々の苦難を乗り越えていく・・・。夫・岡潔を、世界からの評価、そして文化勲章受章へと導く、岡みちの強靭でまっすぐな愛。
世界を驚かせた夫婦の愛の物語。
あらすじ引用:http://www.ytv.co.jp/tensai/
予告動画:
★原作実話ネタバレ
岡潔が数学に興味を持ったのは中学校3年生のとき。岡潔はたまたま父親の書籍から数学者クリフォードの「数理釈義」を読んで夢中になり、毎日のように画用紙と定規とコンパスを用いて自分で定理を検証した。
岡潔は第三高校の理科甲類を経て京都大学の理学部へ入学。
大学の試験で難問の証明法を発見すると「わかった!」と叫んで周りを驚かせ、残りの試験を放り出して教室を出ていき、公園のベンチに寝そべって問題を解いた感動の余韻に浸った。岡潔はこの頃から路地にしゃがみこんで図形を描くなど奇行が始まる。
■岡潔と小山みちの出会い
1924年の夏、大阪・日本橋で小山みちは岡潔いう変な京大生と出会った。隠されたお宝の場所を数学で解き明かし、人助けした潔に「意外とすごいんやな」と引き込まれた。
岡潔24才で京都大学理学部の講師となり、2人は結婚した。
■フランス留学で多変数複素函数論と出会う
岡潔は28才で助教授になるとはフランスのソルボンヌ大学に3年間留学。
3年間で論文も書かず、表面上は特に成果はなかったが、岡潔は生涯の研究テーマである「多変数複素函数論」に出会った。
また岡潔は、中谷兄弟(兄で物理学者の宇吉郎と、弟で考古学を専攻する治宇二郎)と出会い親友となる。兄がドイツへ行ったあと、弟の治宇二郎が助膜炎で倒れたときは岡潔とみちが助けた。
■事件を起こして岡潔が無職に
フランス留学から帰国後、岡潔は広島文理科大学の助教授に。そして「多変数複素解析関数論」に取り組んだ。
しかし4年後の35才のとき京大教授の歓迎会に参加すると、精神病を患って行方不明になり、近所の中学生を襲って帽子や靴を奪い逮捕され、新聞で大きく報じらた。
当時「クザンの第二問題」の論文で数学のやりすぎで神経衰弱したと、3ヶ月前に中谷兄弟の弟・治宇二郎が死んだショックがあった。
精神病による事件のせいで岡潔は助教授を37才で休職し、39才で辞職を余儀なくされ、無職に。
■田舎に引きもった無職13年間
岡一家は、岡潔の故郷・紀見村に戻り数学者として研究に打ち込んだ。翌年には3人目の子供さおりが生まれた。
13年間の間、岡潔は何度か精神バランスを崩して入院や療養をし、生活も苦しくなる。嫁みちは生活のために農業に精を出すがしょっちゅう胃が痛くなった。
家族を養うため田畑や財産を売ったり、奨学金をもらって生計をたてた。家すら手放すと村人の好意で物置に住まわせてもらった。中谷兄弟の兄・宇吉郎も研究で得た賞金を送金するなど支えてくれた。
世間から隔離された世界は、岡潔にとっては独創的な発見をしやすい環境だった。おかげで41才までに三つの大問題を解決することがでた。不定域イデアルの理論を開発して、内分岐域において解決。嫁と子供たち家族、友人たちの支えがあったからこそ。
■59才で文化勲章
苦しい13年間を経て48才、高校の同級生で京大の秋月教授の推薦で奈良女子大学理家政学部教授に就任。論文をフランスの学会誌に載ったのも秋月教授のおかげだった。
岡潔の研究成果(論文)は難しすぎて理解する日本人は少なかったが、世界で評価が高まり国内で認知度が上がっていた。
フランス語で論文を発表していったが、ヨーロッパの数学者たちはその独創性に驚き「オカ・キヨシ」を日本の若い数学者の集団でないかと疑ったほどだった。
数学の神様ジーゲルはわざわざ奈良まで岡潔に会いにきて感激のあまり「オー、オカ・・・」と言って抱きついた。
1960年、59才で文化勲章を受章。苦労が報われた瞬間だった。
1978年3月1日76才で岡潔は亡くなり、5月26日には後を追うように嫁のみちも急死した。
以上、原作実話ネタバレでした。ドラマ「天才を育てた女房」では、夫婦の絆を感じさせるシーンが目白押しだし、岡潔が理論を発見すると黒板や夜空に数式やグラフが浮かび上がるファンタジックな演出があるそうで楽しみです。
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