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片上徹也さんは昼間は加古川の精神病院で働き、夜はアメリカ村で「アウルクニック」の院長をつとめ現在大忙し。
高校は六甲でモテて彼女もいました。大学も遊びまくってたようです。そして医師になるも27才のとき病気で半身マヒになるもリハビリで復活してるすさまじい経歴。
そんな片上徹也さんは結婚した嫁と子供はいるのでしょうか?
目次
片上徹也医師のwiki プロフィール(顔画像)
名前:片上徹也
出身地:神戸市
生年月日:1984年7月30日
年齢:35才(2020年5月現在)
職業:精神科の医師
片上徹也医師のwiki 結婚してる嫁と子供
片上徹也さんは2019年に結婚してる嫁がいます。
嫁の名前は美保子さんで、年齢は1985年生まれの34才で1才年下です。
学生時代にいろいろな女性と付き合ってきた片上徹也さんの嫁だからきっと顔は美人でしょう。
片上徹也さんは夜23時に診察を終えると大阪市内の自宅にタクシーで帰宅します。でも疲れすぎて寝つけない日もあって嫁の美保子さんは心配してるそう。
嫁の美保子さんのコメントがこちら。
「たまーに、朝、“仕事に行きたくない”と子どもみたいにグズることがあります(笑)。でもまあ、気にせず家から出すと、意外と大丈夫だったと笑いながら帰ってくるんですけど、本人も精神的に結構きついんだろうなとは、日々感じますね。
かといって、もし夕方で仕事が終わって帰ってきても何かせずにはいられないかも。今でも次の日がお休みだと、夜中の2時に公園でキャッチボールをしようとか言い出す人なので(笑)」
引用:週刊女性
子供がいるという情報はないです、2019年に結婚したばかりだから子供は妊活中かもしれないですね。
片上徹也医師のwiki 両親も弟も医者
父親の片上信之さんはガン専門医。
母親は、内科医と公衆衛生医を経て、現在はリハビリテーション病院で内科・リハビリテーション科の勤務医です。
片上徹也さんは9才年下の弟が1人いますが、医者になってるので、家族全員が医者ということになります!
片上徹也医師のwiki 学歴(中学高校)モテて彼女もいた
片上徹也さんの子供時代は、人見知りせず誰とでも話す気さくなタイプ。レゴブロックで遊んだりしてました。
保育園児のころ両親がハーバードに2年留学したため家族でアメリカで過ごします。
帰国後は、小学校の放課後はランドセルのまま公園でサッカーする腕白坊主で、ヤンチャなガキ大将。一方、授業中には建物の立体図を描いたりしてました。
親から「医者になれ」と言われませんでしたが自然と医者を目指します。
中学
中学は中高一貫の進学校「六甲学院」に入学。厳しいカトリック系の男子校ですが授業中は騒いで邪魔して、サッカー部に所属するわんぱくスポーツ少年でした。
高校
高校もそのまま「六甲学院」。部活はテニスの方がモテると思ってテニス部に。おかげで高校時代の歴代彼女は、女性コーチ、その友達という具合に作戦成功!チャラい!
一方で和田秀樹さんら有名医師の本を読んで精神科医に興味を持ちます。
ですが学力不足で悩んだ挙句、建物が好きなので建築家を目指し、現役で東京大学理科一類を受験するとあえなく不合格・・・。
片上徹也医師のwiki 学歴(大学)
浪人中、東大の受験技法を本で学び、寝る間も惜しんで猛勉強した結果、成績が急上昇。
センター試験の結果を見て「これなら医学部に行ける」と確信して改めて医師を目指し、奈良県立医科大学に合格!
大学では医学を学ぶ一方でチャラいキャラは相変わらず。テニス部や、大阪大学のサーフィンサークルに所属して学生生活を謳歌しました。
片上徹也医師のwiki経歴 病気で半身マヒに
大学卒業後、2009年4月から「大阪府済生会野江病院」で研修医として医師の経歴がスタート。2011年4月からは「聖和錦秀会阪本病院」で働きます。
そんななか2012年3月27才のとき、飲み会中に突然、頭をバットで殴打されたような激痛に襲われました。
「ビールを飲めば痛くなるやろ」とガブ飲みしたら意識飛んで倒れ、緊急搬送され、10時間の大手術。
脳動脈瘤の破裂による「くも膜下出血」です。発症すると3割死亡、再出血するとさらに半数が死亡する恐ろしい病気で、片上徹也さんは再出血して生死の境を彷徨います。
目覚めると左半身が動かず「ああ、終わったな」と絶望しますが、 母親は「あんたは運のいい子やから、いける」と励まし、父親も「うちの息子は大丈夫」と励ましました。
厳しいリハビリが始まりました。研修医時代に精神科医に教わった、落ち込んでもその反対の可能性を考える「認知行動療法」を実践し、「これでたぶん生活保護で暮らせる」と自分に言い聞かせて、鑑を見て「ゾンビみたい」と笑い飛ばし、入院生活は8か月に及びましたが歩けるまでに回復!
ただ後遺症で半身マヒとなり、左足をひきずる歩き方で、左手はまったく使えなません。
片上徹也医師のwiki経歴 30才で「アウルクリニック」を開院
一命をとりとめリハビリで歩けるようになった片上徹也さんは非常勤医師として医師業に復帰します。
2013年11月には「和泉会和泉丘病院」で働きはじめ、くも膜下出血から3年後2015年にはハワイのホノルルマラソンに出場して13時間で完歩する逞しさを見せます。
こうやって精神科病院で働きながら、実は「アウルクリニック」の開業準備を進めてました。
■開院
2014年7月30日、30歳の誕生日に大阪のアメリカ村に「OWL(アウル)クリニック」開院!
「OWL(アウル)」とはフクロウのこと。
フクロウは夜行性で「森の守り神」と呼ばれることから、診療所が「夜の守り神」になればという願いが込められています。入口にはフクロウのイラストが飾ってあります。
「OWL(アウル)クリニック」は19〜23時だけの夜だけの病院で、若者が集うアメリカ村にあります。
夜だけの理由は、若者が仕事帰りに気軽に立ち寄れるように。
昼間は仕事があるから病院に行きたくても行けない人は多いです。
名前:OWL(アウル)クリニック
住所:大阪府大阪市中央区西心斎橋1丁目9−28 リーストラクチャー西心斎橋 319
片上徹也医師のwiki経歴 昼間は加古川で夜は大阪で
■3年で黒字に
しかし最初の1年は患者がゼロで、片上徹也さんはアメリカ村のいろいろな店で食事をしてパンフレットを置いてもらいクリニックを宣伝。
すると3年で黒字になり、現在は毎晩15~20人の患者が来院するほど人気に。
スタッフは臨床心理士8人、看護師5人、事務員4人を抱えています。全員が昼間は別の仕事をしていて、曜日によって顔ぶれが変わります。
そんなスタッフたちに片上徹也さんは「学祭のたこ焼き屋のようなクリニックにしたい」と働きやすい職場作りをし、上下関係でなく並列に扱うこともあり、これまで辞めたスタッフがいません。
■昼間は加古川で夜は大阪で
2016年10月からは兵庫県内で有数の精神科病院「東加古川病院」の常勤医師になった片上徹也さん。
昼間は「東加古川病院」で働き、仕事が終わると特急電車で1時間半かけて大阪へ移動し、夕飯も食べずにクリニックに駆け込む毎日です。
まとめ
片上徹也医師のwikiプロフィールを紹介しました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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