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消えた紅白歌手Kこと門倉有希さんは、デビュー半年後に起こした失踪の理由について、マスコミから「男と駆け落ち」など当時バッシングを受けていました。
しかし、実際は「男と駆け落ち」ではなく、洗脳され監禁されていたのでした。
いったい門倉有希さんに何があったのでしょうか。なぜ洗脳され監禁生活を送ることになったのでしょうか。
また、窮地を救った猫との物語は、命との向き合い方を変えるほどのものでした。
門倉有希さんは失踪から4年後「ノラ」で大ヒットを飛ばし復帰しますが、「ノラ」の意味には、亡くなった子猫「リボン」の存在もあるのでは。
目次
突然失踪して消えた美人紅白歌手K 門倉有希プロフィール
突然失踪して消えた美人紅白歌手Kこと門倉有希さんは、福島県出身の1973年12月1日生まれ現在42才で、本名を「村越充恵(むらこし みつえ)」といいます。
矢沢永吉さんの大ファンだった母親の影響で、門倉有希さんもライブを観に行くなど大ファンになりました。落ち込んだときにはライブ映像やインタビュー記事を見て自分を励ましています。
歌手デビューしたのは1994年21才の頃で、デビュー曲は2月に発売した「鴎・・・カモメ」でした。
2年後の1996年23才の頃、NHK新人歌謡コンテストに出場し、「女の漁歌」でグランプリに輝きます。
そしてグランプリ特典として年末のNHK紅白歌合戦に出場を果たすのでした。
門倉有希さんは石川高校時代に野球部のマネージャーとして甲子園に出場した経験があったので、「甲子園」と「紅白」両方に出場した初の女性歌手として話題になりました。
当時は、ずば抜けた歌唱力と迫力のある声量を武器にして、コブシの効いた正統派な演歌歌手でした。
門倉有希 マスコミから「男と駆け落ち」などバッシングを受ける
門倉有希さんのプロフィールを見ると、順風満帆のように見えますが、実は歌手デビューから半年後くらいに、失踪騒動を起こし、「男と駆け落ちして消えた紅白歌手」としてマスコミからバッシングを受けます。
当時の門倉有希さんは失踪した理由について、仕事や宣伝活動に疲れたので、交際相手の彼氏の自宅で休養していたと話していました。
なのでマスコミは「彼氏の自宅で休養」という部分を取り上げて「男と駆け落ちした」とバッシングしたのですね。
ところが、今だから言える話、実は監禁されていたそうなのです。
門倉有希 「私は彼氏に監禁されていました」壮絶な監禁生活を初激白
■仕事に疲れたのは本当
門倉有希さんが「仕事や宣伝活動に疲れた」というのは本当でした。
演歌歌手は通常なら、有名歌手の弟子になって下積みを積んでデビューする。
しかし彼女の場合は違って、所属事務所が用意したキャンペーンで、全国のCDショップをラジカセひとつで巡るという内容でした。
ラジカセだけでマイクなしで生歌を披露するのですが、これを毎日やるわけです。
てっきりステージで歌えると思っていたのとまったく違う現実とのギャップに、疲れてしまったんですね。そうして門倉有希さんは弱っていき、うつになってしまいます。
■疲れたところへ男性が
そんなところに1人の男性が近づいてきて
「これからどうしたいのか?」
「このまま続けて何の得があるのか?」
などと言葉巧みに諭していき、辛さを理解してあげて、慰めや同情などの甘い言葉や、励ましたりして、門倉有希さんを洗脳していきました。
同時にDVもありました。
■バタード・ウーマン症候群
DVと優しさを繰り返されているうちに「私を愛しているから暴力をふるうんだ」と思い、「私が彼を支えてあげなければ」と思うようになります。
■男性に監禁生活されていた
彼氏に包丁をつきつけられ、監禁生活が始まりました。
1.買いだめしたカップラーメン
2.24時間体制で監視され脱出不可能
3.「逃げたらどうなるかわかってるよね」
■学習性無力感
自分は逃げられないと思い込み、逃げることをあきらめてしまうことをいいます。
監禁生活3日目。彼氏がトイレに入ってる隙に逃げようとしたが失敗。
監禁生活7日目。彼氏が夕方6:50外出。しかし恐怖で逃げ出すことができない。しかしチャンス。
6:59勇気を振り絞って一心不乱で階段を駆け下りました。
門倉有希 逃げる気を奪う洗脳恐怖とは?
これは門倉有希さんに限ったことではないのですが、洗脳されると、いつでも逃げることができる状況なのに、なぜか逃げることができなくなります。
まず、門倉有希さん自身が、洗脳されている自覚がなかったと思われます。弱っている自分に優しくしてくれる男性を信頼し、絆もできてしまっている状態です。心のよりどころは彼だけです。
洗脳に気づいたときには、彼から逃げてもし捕まって何かされるなら、逃げずにいたほうが安全だし、いうことを聞いていればいつか解放してくれると考えるようにもなります。
門倉有希 窮地を救った猫との物語とは?
■解放されたがひきこもり
監禁生活から解放された門倉有希さんは、実家に戻りましたが、ひきこもりになってしまいます。
両親も、腫物に触れるがごとくで、娘を救ってあげることができない毎日でした。
そんな門倉有希さんの様子を心配していた所属事務所の社長が、ファンレターと差し入れを持っていき、彼女を励まし続けました。
ファンレターには、彼女のファンからの励ましの言葉もあり、門倉有希さんは元気づけられていきます。
次第に元気を取り戻した彼女に社長は「もう一度歌ってみるか?」と言い、見事復帰したのでした。
■「ノラ」大ヒットで復帰
復帰したものの、売れるまでに4年もかかりました。
デビューしたのが1994年2月、半年後に失踪、そして4年後の1998年にリリースした「ノラ」は約80万枚の大ヒットとなり、本当の意味で復帰を果たしました。
「ノラ」とは、野良猫を意味すると思われます。歌詞の内容からして、自堕落なすさんだ生活をしている女性を描いていますし。
門倉有希さんが猫好きなこととも関係があるのかもしれません。
■子猫「リボン」との出会いと別れ
門倉有希さんは猫好きなようで、1人暮らしを始めた時には猫を飼いたかったそうです。
しかし営業で地方回りがあり家をあけることがあるので、事務所から猫を飼う許可が出ませんでした。
そんなある日、地方コンサート会場の駐車場で捨て猫の子猫を見つけ、放っておけない彼女は連れて帰り「リボン」と名付けます。
おそらくこの子猫が、傷心の彼女を窮地から救ってくれたのではないかと思います。
「ノラ」は子猫「リボン」のことを想う歌でもあるのかも・・・。
しかし約3年後、耳に黄疸が出たのでおかしいと思い病院に連れていきますが、原因不明のまま「リボン」は亡くなってしまいました。
■「リボン」の死には意味があった
門倉有希さんは猫が亡くなったのは自分のせいだと自分を責めて、何も手が付けられないほど毎日泣いて過ごしました。
そして猫を飼うにはきちんとした知識が必要だと考え、小動物介護士や小動物看護士、ドッグシッターの資格まで取ったのです。普通ここまでしないですいよね。それほど本気だということです。
「リボン」の死によって門倉有希さんはペットの命に対する向き合い方が変わりました。
ちなみに門倉有希さんは今年3月に新曲「恋猫」をリリースしています。
そして、彼女は8匹の猫と暮らしています。
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