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「ルパン三世」の原作者・漫画家モンキー・パンチさんが死去しました。享年81才、死因は肺炎でした。世代を超えて愛されている「ルパン三世」は、アニメ化した当初から知る人や、映画なら「カリオストロの城」で知った人まで、現在は知らない人はいないくらい。
そんなモンキー・パンチさんの現在は自宅は佐倉市ですが、自宅はどこなのでしょう?
また結婚した嫁や子供はいたのでしょうか?子供がいるとしたらもう50代じゃないかと。
ところでモンキー・パンチって外国人風の名前ですが日本人で、本名はルパンではなく加藤一彦(かとうかずひこ)さんといいます。本名でなく「モンキー・パンチ」になった誕生エピソードが面白い。
晩年は漫画活動はしてなかったですが後進の育成に励み、出身地を大切にする人でした。
目次
●モンキーパンチ 現在の自宅は千葉県佐倉市のどこ?
モンキーパンチさんは1996年(平成8年)から現在まで、自宅は千葉県佐倉市の高級住宅街「染井野」にあります。
自宅兼事務所を建てるため、友人の紹介され佐倉市染井野を選びました。
その後、佐倉市広報カレンダーの作画をしたり、2018年には画家の高橋真琴さん、歌手の荻野目洋子さん、トライアスロン選手の佐藤優香さんとともに佐倉親善大使にも選ばれています。
2013年には佐倉市立美術館で「アニメ化40周年 ルパン三世展」が開催されたこともあります。
モンキー・パンチの自宅、知ってるよ、佐倉市のとある場所。大きい家だよ。玄関先にルパンは置いてなかったな。http://t.co/x47WiNOkMf
— fur+san (@ItFur59) 2014年8月22日
ルパン三世の新TVシリーズが話題ですが、モンキーパンチ先生の自宅がある佐倉市ではこんなナンバーも取ることが可能です。 pic.twitter.com/n45sj6Y9IW
— 紳士服 (@shinshifuku_bon) 2015年10月10日
●モンキーパンチ 結婚した嫁は?
モンキーパンチさんは29才のとき嫁と結婚してます。
結婚したのは1967年9月で、ちょうど「週刊漫画アクション」で「ルパン三世」が連載スタートした時期でめっちゃ忙しかったですが、仕事より嫁を選んで新婚旅行で出身地の北海道へ行ってます。
清水編集長に黙って新婚旅行に出かけるはずがバレて怒られましたが、許してもらって無事ハネムーンに行ったのでした。
2017年には「ルパン三世」生誕50周年とともに、嫁と金婚式を挙げるなど夫婦仲良しでした。
●モンキーパンチ 子供は?
モンキーパンチさんと嫁との間には子供が少なくとも2人はいることが、このツイッターでわかります。
先日の『ルパン三世 血の刻印〜』で原作プロデューサーの名前が加藤という事でちょっと気になって調べてみると、実は原作者モンキー・パンチ氏の息子(次男)さんだという事が分かった。ちなみにモンキー氏の性が加藤である。
— 黒咲さん! (@rider_kurosaki) 2011年12月4日
ツイートにある次男の加藤州平さんは、モンキーパンチさんが代表を務める「株式会社エム・ピー・ピクチャーズ」の関連会社「株式会社エム・ピー・ワークス」の社長なんです。
「エム・ピー・ワークス」はルパン三世の各作品プロデュースや企画、モンキーパンチさんの漫画配信など、行ってる会社。
ほかにもツイッターで息子に関する投稿がいくつかあります。
もうひとつ自慢。高校のクラスメイトにモンキー・パンチの息子がいましたー
— ゆうこ (@momoyamach) 2010年9月1日
そういえばモンキー・パンチ氏の息子さんとは小学校のとき剣道の道場仲間でした。
— Hiroya Kubo (@kubohiroya) 2012年10月31日
↓こちらは加藤州平さんの画像。
ルパン三世の作者☆モンキーパンチさんの息子さんが、六本木『PAL's BOX』に来てくれましたので…ハッポゥくんの作った作品と一緒に3人でパシャリ♪v(*'-^*)^☆ pic.twitter.com/B9AZcbFc54
— 葉月パル (@hazuki_pal) 2015年6月22日
モンキーパンチさんがルパン三世なら、息子はルパン四世ですね!
実は漫画のほうでもルパン四世が1974年「週刊少年アクション」で登場しています。
ルパン三世と峰不二子の間にできた子供で、名前は「ルパン小僧」でちゃんと公式設定なんです。
ちなみに、さらにその子孫のルパン8世もいます。
●ルパン三世の原作者モンキーパンチ 本名・出身地・漫画活動などプロフィール(画像)
尊敬するモンキー・パンチさん (ルパン三世の作者) pic.twitter.com/PCmvIk2N1e
— ロメオ@ナポリを見て死ね (@romeo_sakai) 2019年4月16日
名前:モンキー・パンチ
本名:加藤一彦(かとうかずひこ)
生年月日:1937年5月26日
死没:2019年4月11日(享年81才)
出身地:北海道厚岸郡浜中町
職業:漫画家
モンキーパンチさんが外国人だと思っていた人もいるようですが日本人の加藤さんです。
出身地・北海道浜中町の実家の漁師の息子として生まれ、手塚治虫さんに影響を受けて漫画を書き始めました。
学生時代は医者のレントゲン助手をしながら漫画を描いて患者を和ませたホッコリエピソードも。
北海道霧多布高校を卒業後、東海大学専門学校電気科に進学して上京。
ペンネームは本名「加東一彦」で出版社で漫画家のバイトをしながら、弟の加藤輝彦さんと友達の3人で漫画活動してました。
努力が実を結び1965年27才のとき「プレイボーイ入門」でマンガ誌「漫画ストーリー」から、ペンネーム「ムタ永二」でついにメジャーデビュー。
■モンキー・パンチ誕生
そして運命の1966年。双葉社の清水文人編集長からペンネームを変えろと言われ「モンキー・パンチ」に改名しました。アメリカの雑誌「MAD」の影響でアメコミ風の絵なので日本人漫画家ぽくないから、どこかの外国人が描いてるように見えるイメージ戦略だったんです。
でも清水編集長が適当につけた名前だったし、加藤一彦さん本人は「モンキー・パンチ」というペンネームが気に入らないけど命令だし・・・
■ルパン三世誕生
ところが翌年1967年8月にマンガ誌「漫画アクション」で「ルパン三世」が連載スタートすると大ヒット。人気漫画家になったもんだから「モンキー・パンチ」を変えるに変えられなくなり、本名も名乗れなくて複雑な気持ちになったそう。
この頃は兄弟共同ペンネームで、兄・加藤一彦さんがストーリーとキャラクターを担当、弟が絵を描く担当でした。
「ルパン三世」といえばルパンと銭形刑事の掛け合いが魅力ですが、これは『トムとジェリー』の「仲良くケンカしな」がモデルなのです。ほかにもスパイアクションの金字塔『007』が土台になってます。ということは峰不二子のモデルはボンドガール?
1971年にはテレビアニメが放送スタート。その後もテレビシリーズ、映画など、現在も声優を変えながら続く、日本人に愛される国民的アニメとなりました。
モンキー・パンチさんは「ルパン三世」があまりに有名すぎて他の作品が目立ちませんが、実はたくさん書いていて、1978年「月光仮面」の原作者だったりもします。
#モンキー・パンチ先生 といえば誰もが『ルパン三世』を思い浮かべるでしょうが『月光仮面』も描かれてましたね。幼少の頃見たきりで内容は忘れても 「モンキーパンチ」 という名前はインパクトあって覚えてました。どうか 安らかに…。 pic.twitter.com/vu7b6H7Cbh
— 時星リウス (@TokiBosi20) 2019年4月16日
■数々の賞を受賞!
1980年以降は、
サンディエゴ・コミックコンベンションINKPOT賞
ローマ・コミックフェスティバルROMICS金賞
AMD Award功労賞
東京アニメアワードアニメ功労賞
北海道新聞文化賞
など数々の賞を受賞!
■66才から大学院に!
モンキーパンチさんは「自分はこれでは成長しないと感じて」なんと66才から大学院に通ったほど、学び精神がすごい!
2003年 東京工科大学大学院メディア学研究科メディア学専攻修士課程
そしてマンガ制作の講義を行って後進の指導にも努めたり
2005年 大手前大学人文科学部メディア・芸術学科マンガ・アニメーションコース教授
2010年 東京工科大学メディア学部客員教授
2017年 専門学校札幌マンガ・アニメ学院顧問
漫画活動はなかったですが、晩年もCGを使った3Dアートの研究に熱心でした。
出身地・北海道厚岸郡浜中町への思い入れも有名で、ファンイベント「ルパン三世フェスティバルin浜中町」を開催したり、2007年テレビスペシャル「ルパン三世 霧のエリューシヴ」の舞台は出身地でした。
ご冥福をお祈りいたします。
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