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昭和の名女優・大原麗子さんは自宅で孤独死したのですが、再発した『ギランバレー症候群』が死因なのでしょうか。
大原麗子さんは映画メインの東映時代は汚れ役でパッとしなかったですが、移籍してテレビドラマに出ると人気が出てブレイク。ウイスキーCMや寅さんシリーズのマドンナなど日本美人の代表として高い支持を得ました。
一方プライベートでは幼少期にDVをした父親が浮気で離婚したことが原因でファザコン気味で、結婚歴は2回。元旦那の渡瀬恒彦さんのことは離婚後も好きだったという、離婚理由も切ないものでした。
2度の結婚歴に加え、乳ガンと難病にも襲われ、『ギランバレー症候群』の症状により自宅で重傷も負ってます。人気俳優と結婚した美人女優でも最後が孤独死だったというのは、とても悲しいですね。
目次
●大原麗子 プロフィール(画像)若い頃はウイスキーCMや寅さんで人気
大原麗子さんの家系は、赤穂藩主の浅野内匠頭の末裔。
父親は老舗和菓子屋『田月堂』を営んでましたが、DVで幼い娘を殴って鼻骨の右の傷跡が残り、大原麗子さんは写真の撮られ方を気にするほどでした。
8才のとき、そんな父親が浮気したことが原因で両親が離婚。弟の政光さんは父親に、大原麗子さんは母親に引き取られ、姉弟はバラバラに。
シングルマザーのもとで育つ大原麗子さんは、喧嘩っ早く頼れる姉御肌の少女になりました。
若い頃10代後半、加賀まりこさん・峰岸徹さんなどを輩出した『六本木野獣会』メンバーとして注目されると芸能界入り。18才1964年、NHK新人オーディションに合格し、ドラマ『幸福試験』で女優デビューしました。
19才1965年、東映に入社して佐久間良子さん主演『孤独の賭け』で映画初出演を果たし、高倉健さん主演の映画「網走番外地」シリーズにも抜擢されますが、不良少女・売〇婦、汚れ役など役柄には恵まなくとも難役を演じ切りました。
昭和42年 大原麗子さん(20) pic.twitter.com/KR3Qr47szS
— 懐かし昭和画像BOT (@jyzssf65uw) 2019年6月14日
25才1971年で映画の東映と契約切れになり、芸能事務所『渡辺プロ』に所属してテレビドラマの世界へ活躍の場を移したことが転機でした。20代はNHK大河ドラマ『勝海舟』の悲劇のヒロインなどを次々と好演し、『しっとりとした日本的美人像』の代表としてテレビで人気女優の地位に上り詰めました。
■若い頃 ウイスキーCMが代表作
34才で出演したサントリーウイスキーのCMでの、和服姿での「すこし愛して、ながーく愛して」のセリフは、流行語になったほど。このウイスキーCMは1980~1990年までなんと10年間も放送されたのでした。
■若い頃 寅さんでマドンナ役も
31才1978年・37才1984年には映画『男はつらいよ』渥美清さん演じる寅さんのマドンナ役を演じました。
同じころ映画『居酒屋兆治』では高倉健さんにぞっこん惚れる役を熱演し物議を醸したかと思うと、38歳で映画『おはん』では魔性の女を妖演したのでした。
やっぱり土曜は寅さん!#男はつらいよ #寅次郎真実一路#渥美清 さん💐#大原麗子 さん💐 pic.twitter.com/jUUPY7uwbC
— ステラ🍅 (@stellar567) 2019年6月15日
久々にきちんとした下ネタ思い付いたと思ったのに誤字っちゃったよ
お詫びのマドンナ
大原麗子多分今の吉高由里子的なイメージの女優さんでしたね pic.twitter.com/nnPfHVmgD0
— めくれたオレンジ (@myakraknak) 2019年6月15日
このように大原麗子さんは、女性が憧れる女性としてプレミア級で、キュートな魅力の大女優となったのでした。
そんな大原麗子さんの性格は、決断が早く、短気だが人望が厚く、頑固だが義理堅く、繊細に見えて実は負けん気が強く絶対にあきらめない、芯のしっかりした女性でした。
一方でプライベートは結婚や病気で波乱万丈でした。
●大原麗子の結婚歴 共演した渡瀬恒彦と
大原麗子さんは幼少期に父親にDVされ、父親の浮気が原因で両親が離婚した経験からか、ファザコン気味。だから好きな男性のタイプも「毅然としている人、強い人、繊細な人、おとなしい人が好き。うるさい人は疲れます」
そんな大原麗子さんは結婚歴が2度あります。
■結婚歴1人目 渡瀬恒彦
結婚前に子供を妊娠してますが、子宮外妊娠のため死産。そのとき渡瀬恒彦さんから輸血を受けたので2人には血の絆さえありました。
しかしテレビドラマメインの大原麗子さんは東京で拠点、ブレイクし始めで映画俳優の渡瀬恒彦さんさんは京都が拠点だったので、離婚理由はそういったすれ違いが生じていき、5年後31才1978年で離婚・・・
■結婚歴2人目 森進一
子供を妊娠するも堕胎して4年後、37才1984年に離婚。バツ2に。
離婚理由を会見で「仕事をやめたくなかった。家庭に男が二人いた。慰謝料をもらう立場ではない」と語ったのでした。
■離婚後も渡瀬恒彦をずっと好きだった
渡瀬恒彦さんは離婚後も大原麗子さんのことを気にかけていたそうですが、大原麗子さんも渡瀬恒彦さんのことをずっと好きだったとか。
渡瀬恒彦さんと共演した『十津川警部シリーズ 東北新幹線はやて殺人事件』が大原麗子さんの遺作であることは運命めいたものを感じます。嫌いな相手だったら共演もしないだろうし。
2度の結婚歴がありますが、どちらも離婚理由がなんだか切ない・・・
●大原麗子 ギランバレー症候群など病気に苦しんだ人生
大原麗子さんは人気女優になった29才のとき、難病『ギランバレー症候群』を発症しています。
47才のときには乳ガンの手術を受け
53才1999年11月、病気『ギランバレー症候群』が再発して芸能活動を休止してます。
■難病『ギランバレー症候群』とは?
『ギランバレー症候群』は、筋力の低下により歩行障害などを引き起こす精神疾患。国内発祥率は年間およそ2000人、人口10万人当たり1~2人という難病で、患者の年齢は若年成人と高齢者に発症のピークがあります。
● 原因は?
細菌感染で免疫システムが末梢神経を攻撃されるのが原因で、自律神経症状を引き起します。
● 症状は?
発熱・頭痛・四肢痛のあと、左右対称の麻痺や、筋力低下が起こるので、歩行障害や軽い機能障害が残ります。
約3~5%の患者が、呼吸筋の麻痺・血液感染症・肺血栓・心停止などの合併症が死因で死亡してしまいます。
●大原麗子の孤独死は、ギランバレー症候群が死因?
53才1999年11月から『ギランバレー症候群』が再発した大原麗子さんは芸能活動を休止し、2003年に仕事復帰しています。
しかし61才2008年11月に足元がふらついて自宅で転倒し、右手首骨折と膝打撲という重傷を負いリハビリ生活に。
さらに62才2009年で左目の二重まぶたの整形手術を受けると失敗し、マブタが腫れ上がったので映画『天城越え』の主演を降板し、自宅で引きこもり状態となりました。
3月、介護が必要になった91歳の母親を介護施設に預け、自宅で一人暮らしになるも「仕事に関しては、死ぬまで限界がない」とまだまだやる気でした。
■孤独死
しかし62才2009年8月6日、自宅で孤独死・・・
2週間も連絡が取れないのを心配した弟・政光さんが警察に相談し、警察官と一緒に自宅を訪れたら、2階の寝室のベッドであおむけで孤独死していたんです。
■ギランバレー症候群が死因?
直接の死因は『不整脈による脳内出血』でした。
果たしてそうなった死因は『ギランバレー症候群』なんでしょうか?
呼吸筋麻痺、嚥下障害、不整脈や血圧の変動などの自律神経障害などを伴う重症例の場合では、厳重なモニタリングや、人工呼吸・循環管理などの集中治療を要する場合があります
引用:東京都立神経病院
『ギランバレー症候群』は致死的な不整脈が生じることもあるようなので、やはり死因は『ギランバレー症候群』と思われます。
復帰を目指してリハビリに励んでいたなかでの孤独死は、大原麗子さん自身、無念だったに違いありません。
■大原麗子が孤独死した自宅はどこ?
大原麗子さんは森進一さんと離婚後40才のとき、長年の夢だった自宅豪邸を建てて、母親と同居しました。
そして母親が介護施設へ送ったあと、孤独死してしまいました・・・その自宅はどこかというと住所も判明してます。
住所:東京都世田谷区岡本3-2-3
値段:3億円
土地:150坪
床面積:260m2
デザイン:南欧風2階建て
昭和に名女優、大原麗子が孤独死した自宅。現在は取り壊されてる pic.twitter.com/F0uSPdYeJQ
— クロスケ (@kuro_we) 2019年6月19日
大原麗子さんは生前、この自宅を売却しようとしたのですが、高すぎて買い手が見つからないまま孤独死。
しかし2009年の孤独死から7年後、やっと買い手が見つかり2億5000万円で売却し、2016年現在には取り壊されました。
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