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元横綱の北尾光司さんの嫁と娘の現在を調べると、死因となった『慢性腎不全』や『糖尿病』など晩年の入院透析生活など病気を支えていました。
北尾光司さんは22才で横綱になった才能の持ち主でしたが、立浪部屋で『双羽黒事件』起こしたりワガママ放題のダメ横綱だとバッシングされ横綱を廃業。
その後は知名度を生かしたプロレスデビュー戦では空回りし、長州力さんとモメたり、失言してクビになったり、高田延彦さんと対戦もしましたが結局プロレスは辞めて、立浪部屋に助けられ角界に相談役で復帰。
しかし晩年は病気に苦しみ、支えてくれたは横綱廃業後に結婚した嫁・淑惠さんと1人娘でした。2019年現在、嫁の淑惠さんが「爆報フライデー」でテレビ初出演して、55才の若さで死去した北尾光司さんの波乱の人生を語ります。
目次
●北尾光司 デビュー戦 高田延彦 長州力
■北尾光司プロフィール(画像)
【速 報】
大相撲の元横綱双羽黒の北尾光司さんが亡くなっていたことが分かった。55歳だった。https://t.co/ISa66PhO31 pic.twitter.com/pOv9qRV7uR— 時事ドットコム(時事通信ニュース) (@jijicom) 2019年3月29日
名前:北尾光司(きたお こうじ)
四股名:双羽黒 光司(ふたはぐろ こうじ)
肩書:第60代横綱(立浪部屋)
出身地:三重県津市
生年月日:1963年8月12日
没日:2019年2月10日(享年55歳)
身長体重:199cm・151kg
職業:大相撲力士➝スポーツ冒険家➝プロレスラー➝格闘家➝大相撲部屋付きアドバイザー
北尾光司さんは幼少期から恵まれた体格の持ち主で、最初は父親の影響で柔道を習っていたのですが、小学校に土俵がつくられたのがきっかけで相撲少年になると、商店街の相撲大会で優勝するなど夢中に。
そうして中学卒業後は高校へ行かず、両親に5年で関取になるリミットを宣言して、鳴り物入りで名門・立浪部屋へ入門しました。
■ワガママ横綱時代
1986年なんと22歳の若さで横綱にスピード昇進!四股名を『双羽黒』に改名し、活躍を大いに期待されました。
ところが横綱昇進後の成績は8場所で優勝ゼロとパッとせず。しかも稽古嫌いで、立浪親方に怒られると実家に帰ってしまうなどワガママ放題。
1987年12月27日『双羽黒事件』発生。
「こんなちゃんこ、不味くて食えるか!」立浪親方と大喧嘩。止めに入った女将さんを突き飛ばて「二度と戻らない!」と立浪部屋から失踪。
その後、結局、24才4カ月の若さで横綱廃業を余儀なくされました。出世よりワガママを通した変わった力士という世間のイメージがつきました。
その後は北尾光司さんはスポーツ冒険家に転身を経て、プロレスデビュー。
■プロレスデビュー戦
北尾光司がお亡くなりになった…
この方は色んな意味でもプロレス史に大きなインパクトを残す存在でしたね。
今思うと色んな事件が今でも語り継がれてる時点でこの方の勝ちですね。
北尾光司からまた違ったプロレスの楽しさや面白さを知りました。
ご冥福をお祈りいたします。 pic.twitter.com/75LLqHHQdk
— tamu (@tamuryou_0131) 2019年3月29日
知名度抜群で鳴り物入りで新日本プロレスに入団。
東京ドームでのプロレスデビュー戦ではまさかのグラサンで髪にメッシュを入れて登場。「AH----!」と意味不明の叫びとともに対戦相手クラッシャー・バンバン・ビガロと戦い、勝利したんですが、北尾光司さんはなぜか鼻のつく選手になってしまいました。
北尾光司さんが登場すると自然とブーイングが起こる一方で、地方でも満員、テレビ視聴率も抜群の人気を博したんですが、現場監督の長州力さんとモメてプロレスを辞めてしまいました。
そこへ救いの手を差し伸べてくれたのが、メガネスーパーのプロレス団体『SWS』天龍源一郎さん。しかしまたしてもとんでもない騒動を起こしてしまいます。
元力士・琴天山でアメリカで大人気ジョン・テンタ選手との試合で、元横綱の北尾光司さんは、目をつく素振りをしながら「おい!この八百長野郎!」
プロレスはずっと『八百長』という偏見と闘って信頼を積み重ねた歴史があるのに、それを現役プロレスラーが言ってしまったもんだから、北尾光司さんはSWSをクビ!
■格闘家に転向 高田延彦と対戦
今度は格闘家に転向した北尾光司さん。嫌われ者だが視聴率を稼げるヒールを放っておかなかったのでは、高田伸彦さん率いるUWFでした。
格闘家としてUWFの2番手をKOで倒したあと、武道館で最強の高田延彦さんと対戦。引き分けに持ち込むはずが、約束を破られまさかのハイキックでKOされたのでした。
●北尾光司 晩年は透析
2003年。どの仕事も軌道に乗らずにいた北尾光司さんに救いの手が差しのべてくれたのは、15年前に喧嘩別れした立浪部屋。おかげで親方をサポートする『部屋付きアドバイザー』として角界に復帰。
しかし2013年頃、糖尿病の悪化や、ちょっとしたかすり傷から両足切断を医師から勧められ、自力歩行も困難な寝たきり生活に。トイレも嫁と娘の介助が必要な状態で苦しみました。
2014年から入院し、2018年秋から『慢性腎不全』のため人工透析を開始。糖尿病の末期症状で目もほとんど見えず、娘を娘だと認識することもできないほど意識も朦朧・・・。
2019年2月10日に55才の若さで死去・・・死因は『慢性腎不全』でした。
『慢性腎不全』とは、血液内の老廃物をろ過する機能をもつ腎臓が、ろ過機能が低下して血液の酸性度が高くなること。
進行すると動脈硬化が悪化し、脳梗塞、脳出血、心筋梗塞などの病気を発症しやすくなり、直接的な死因になる。
●北尾光司 結婚した嫁の現在
北尾光司さんは横綱時代、マスコミに悪事の数々を好き勝手書かれ、評価は急降下の一途をたどってました。
そのとき唯一信じてくれたのが、のちに結婚する彼女の淑惠さん。北尾光司さんが怪我などで入院したときの女医さんで、小結に昇進したときにテレビで見て一目ぼれ、バレンタインチョコがきっかけで彼氏彼女の関係になったのでした。
横綱廃業後、世間の激しいバッシングの嵐の渦中にいる北尾光司さんを支えるべく、淑惠さんが結婚して嫁になりました。
北尾光司さんがその後に冒険家、プロレスラー、格闘家など色々な仕事にチャレンジしたのは、嫁の存在があったからなんですね。
晩年・病気に苦しんだ北尾さんを介護して励まし続けたのも嫁・淑惠さんのメッセージがこちら。
葬儀は生前からの本人の希望で娘と私だけ
の家族葬としました。何かと世間をお騒がせしましたが、
主人は曲がったことが大嫌いな、
とてもピュアな人でした。この場をお借りしまして、主人を
応援してくださった皆様に厚く
御礼申し上げます。
現在は、2019年6月28日放送「爆報フライデー」にテレビ初出演し、北尾光司さんの闘病記録や、嫁と娘に残していたメッセージを公開するそう。
●北尾光司 娘の現在
北尾光司さんには一人娘がいて、世間のワガママなイメージとは裏腹に、子煩悩でした。
その一人娘も、晩年の北尾光司さんを懸命に介護してました。
現在、娘の年齢は24才なので、結婚して子供を産んで幸せに暮らしてるかもしれません。
●北尾光司 ネットの反応
横綱時代はワガママだと批判されてますが、『双羽黒事件』の真相は、ちゃんこもまともに作れない若手を立浪親方に注意してほしかったところ、逆に若手に誤れと言われて納得いかなかったのでした。女将さんのこともちょっと振り払っただけでしたが、なんせ巨体なので暴力沙汰になってしまいました。
「ダメ横綱」と言われた人の正体は、世渡りな下手な曲がったことが嫌いな、正直なピュアな人だったんですね。そんな人柄を嫁も愛していたのだと思います。
爆報フライデーの北尾光司特集は見逃さない様にしないとな!
— 大四郎 (@sagicyoudeath) 2019年6月28日
夜7時に北尾光司スペシャルですって!!見なくてはヽ(;▽;)ノ
— サトウヨンペイ (@satoyonpei) 2019年6月28日
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