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山口小夜子さんといえば日本人らしい切れ長の目に黒髪ボブ、白い肌に赤い口紅という独特メイクで伝説のパリコレモデルとなった女性です。資生堂CMは美の最先端を走ってるイメージで記憶に残ってる人も多いと思います。
しかし晩年は孤独死でした。世界でスポットライトを浴びた女性の晩年が孤独死とはさみしいですね。死因も真夏に急性肺炎という突然の死去で、すぐ発見されたわけではなかったのです。
モデルとしてのメイクが魅力的な山口小夜子さんですが、すっぴん画像や素顔はどんな人だったのでしょう?
またパリコレモデルとして身長はどのくらいだったのでしょうか
目次
●山口小夜子 伝説のパリコレモデルになった日
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1970年代は、日本人デザイナーやモデルがパリコレなど世界で活躍し、日本人独特の美しさが見直された時代でした。
1973年、山口小夜子さんは日本人初のパリコレデビューを果たし、1974年にはアメリカ『ニューズウィーク誌』の『世界のトップモデル6人』の1人に選ばれました。
■「山口小夜子」を創った川邉サチコ
素顔は少女のようで温和かつ繊細なタイプの山口小夜子さんを、ステージでは誰よりも強い存在感を放つ「伝説のパリコレモデル山口小夜子」にヘア&メイクしたのは、美容家の川邉サチコさんでした。
川邉サチコさんは1961年23歳で義母とパリに渡り、現地のメイクアップスクールやサロンで学んだ後、ファッションショーの美容担当からキャリアを積みました。
当時ヘアとメイク両方できる美容家は珍しかったので重宝され、広告や舞台に仕事の幅が広がり、世界中を飛び回ることになったなか、印象深かったのは山口小夜子さん。
● 黒髪ストレートボブ
● マットな白い肌
● 切れ長な目のアイライン
● くっきり赤い唇
という「山口小夜子」を創り、いかにも日本人らしいその姿は「東洋の神秘」と称され世界中から注目を浴びることに。
●モデル山口小夜子 資生堂CMの画像・動画
ジャンポール・ゴルチエ、イヴ・サンローラン、山本寛斎、高田賢三など、超有名一流デザイナーたちに愛された山口小夜子さんは、日本国内で大手化粧品会社『資生堂』と12年間、専属契約を結んでいました。
『資生堂』の『シフォネット』のポスターは、山口小夜子さんの神秘的な姿が注目を集め人気に。
血まなこなって探してた!ようやくシフォネットのパウダー手に入れた!儚くて甘い匂いする。生気なくなる、人形通り越して幽霊フェイスなる。山口小夜子、東洋の魔女。
#シフォネット pic.twitter.com/HyTO5CLoQ9— 駿 (@badendqueen) October 9, 2016
資生堂シフォネットのパッケージと広告を偏愛してる。山口小夜子展に行ってからさらに愛が深まっている。成人式の時、廃盤になったシフォネットのアイシャドウで化粧して貰えたの嬉しかったな pic.twitter.com/oEO4mgUBag
— えぐみ ルネ (@VacsNoir48) November 25, 2015
当時の『資生堂』は美の最先端を行くイメージでCMがオシャレですね。
●モデル山口小夜子 晩年は孤独死・・・
山口小夜子さんは晩年はモデル活動から退き、『ウェアリスト(着る人)』と名乗り活動。
そんななか2007年8月14日、突然死去しました。親交のあったミュージシャン立花ハジメさんが週に1度の原稿が来ないことを心配した矢先の死去でした。
死去3日後、8月17日に港区の自宅マンションで一人で倒れているのを発見されています。プライベートは全く明かさず年齢も非公表だったため57才という年齢に驚いた人も多かったようです。早すぎる死でした。
■晩年は孤独死・・・
死因は急性肺炎でした。
空気の通り道である気管支の末端や、気管支の周囲に存在する酸素と二酸化炭素のガス交換を行う肺胞に、細菌やウイルスなどの病原体が感染して炎症を起こしたものを、肺炎といいます。
引用:https://www.saiseikai.or.jp/medical/column/pneumonia/
8月の真夏の暑さで疲れていたのでしょうか。怖いですね。見つかるまで3日間、身体も腐っていたと思うので壮絶な孤独死。
コシノジュンコさんは「モデルを超えた人だった。いつも一人、心の中は一人という感じの人だった」と、孤独死をにおわせる発言をしています。世界で活躍する女性の影を感じさせる孤独死でした。
死去後も山口小夜子さんは注目を集め続け、2015年には東京都現代美術館で回顧展『山口小夜子未来を着る人』が開催され、交友のあった友人や生前の映像から迫るドキュメンタリー映画も制作されました。
●モデル山口小夜子 すっぴん画像と身長
■すっぴん画像
すっぴん画像はないですが、16才当時の、まだ「山口小夜子」になる前の画像がこちらです。
山口小夜子のすっぴんに近い?若い頃16才の素顔の画像がこれ
素顔の目は切れ長じゃなくて丸くて可愛い。#山口小夜子 pic.twitter.com/NKvHKCL2lG
— クロスケ (@kuro_we) December 6, 2019
素顔は丸い目なので、切れ長の目はメイクで作ったとわかります。
「山口小夜子」は神々しい近寄りがたいオーラのある人ですが、実は気さくな性格で、宴会では料理を取り寄せたりしてたとか。
静かだけどざっくばらんな面もあり、声は優しいですが横浜生まれのハマっ子なので乱暴な喋り方をすることもあったり、外見だけでなく内面のギャップが魅力的な人でもありました。
■身長
1978年
パリコレでの山口小夜子さん pic.twitter.com/R3oKsgcTMg— 昭和元禄 アングラポップ (@BlackXjs) March 19, 2017
1976年の山口小夜子さん pic.twitter.com/rjcUlwNF6E
— 昭和元禄 アングラポップ (@BlackXjs) November 20, 2016
身長170cmです。パリコレモデルの中では身長低いほうですが、そんなこと気にさせないくらい独特の存在感を放ってます。
●モデル山口小夜子 基本プロフィール
名前:山口小夜子(やまぐち さよこ)
出身地:神奈川県横浜市中区
生年月日:1949年9月19日
没年月日:2007年8月14日
没年齢:57才
身長:170cm
職業:モデル
高校:京浜女子大学横浜
専門学校:杉野学園ドレスメーカー女学院
杉野ドレスメーカー学院卒業後の1970年当時の日本はハーフモデル全盛の時代だったので、デザイナーが仮縫いをするときのフィッティングモデルなどの小さい仕事しかなく、待ち時間にいつも静かに本を読んでたそう。
そんななか山本寛斎さんに見いだされ、川邉サチコさんが「山口小夜子」を創り、70年代前半からパリコレをはじめ欧米の有名ファッションショーに出演し、「世界のトップモデル6人」に選出。
モデル業以外にも、女優・ダンサー・衣装デザイナー・エッセイストとして広く活躍。
女優としては2001映画「ピストル・オペラ」に出演。遺作映画「馬頭琴夜想曲」では衣装もメイクも自分で演出する入れ込みようでした。
ちなみに生まれ育った横浜は、本牧と伊勢佐木町が文化的中心地であり、クレイジーケンバンド結成の地となったイタリアンガーデンなどの店は横浜の不良少年少女たちの遊び場となり、ナポレオン党などの若者グループが結成されました。
山口小夜子さんは女性だけの『クレオパトラ党』に所属。キャシー中島さんや、浅野忠信さんの母・浅野順子さんらがメンバーでした。
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