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逸見政孝のがんは前田外科の誤診って本当?ステージ進行早すぎて断末魔がひどい・・・

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人気司会者だった逸見政孝さんは、がん告白から僅か3か月で死去して、親友ビートたけしさん始め多くの芸能人・国民が悲しみました。

しかしそのがんは死後、手術をした前田外科病院の誤診だったと疑う声があります。誤診のせいか、逸見政孝さんのステージ進行が早くて断末魔もひどかったです。

前田外科病院の誤診とは何だったのか?逸見政孝さんのステージ進行や断末魔に迫ります。

逸見政孝さんは80~90年代前半、大人気のキャスター&司会者で、「平成教育委員会」で共演したビートたけしさんとは親友になりました。葬儀や、番組最終回の様子から、ビートたけしさんの逸見政孝さんに対する想いが伝わってきます。
 
 

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●逸見政孝 プロフィール(画像)


■逸見政孝プロフィール(画像)


逸見 政孝(いつみ まさたか)
出身地:大阪府大阪市阿倍野区
生年月日:1945年2月16日
享年:48才(1993年12月25日クリスマスに死去)
死因:スキルス胃ガン
大学:早稲田大学
職業:フリーアナ(元フジテレビ)

逸見政孝さんは、関西大学の受験に失敗後、自分をフッた女性を見返すため早稲田大学に進学してアナウンサーを目指しました。

大学卒業後22才でフジテレビに入社。スポーツアアナを経て、当時は若い33歳でニュースキャスターに抜擢され、39歳で夕方『FNNニュースレポート6:00』、その後『FNNスーパータイム』の初代メインキャスターへと出世。

ニュース番組の一方で、夕方5時から生放送バラエティ『夕やけニャンニャン』の予告コーナーでは片岡鶴太郎さんやとんねるずとのやりとりが人気でどんどん有名になっていきます。逸見政孝さんは「いっつみい」の愛称で親しまれる存在に。

結婚式の司会など副業もあり収入が倍に増えた税金対策と、生涯現役アナという想いから42才でフリーに転身。

フリー転身後は『たけし・逸見の平成教育委員会』ほか、フジテレビ以外にも日テレ『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』『夜も一生けんめい。』など人気番組で司会を務めました。

しかし人気絶頂の中、逸見政孝さんは48才の若さで死去。死因はがんでした・・・

葬儀のあと棺は、東京のすべてのテレビ局(TBS・テレビ朝日・テレビ東京・NHK・日テレ・フジテレビ)をまわったことからも、当時のテレビ業界での逸見政孝さんの存在感がよくわかります。
 

●逸見政孝 がんのステージは?断末魔が酷い・・・ 前田外科病院の誤診だった?


1993年9月、フリーになって5年目。
48才の逸見政孝さんは記者会見を開いてがんを告白。国民は大ショックを受け、記者から「生還してください」という励ましもありました。

その後も10月頃まで『たけし・逸見の平成教育委員会』の事前収録やほかの特番の司会もこなしましたが、仕事はセーブして闘病に専念していきました。

■がんのステージは?

逸見政孝さんは13年前に弟が31才の若さで胃がんで死去していて、それ以来毎年がん検診を受けていました。

■1回目の手術
そんななか1993年1月、胃がんが見つかりました。
前田外科病院でがんのステージは初期だと診断され、除去すれば仕事復帰できると説明を受け手術を決意しました。

2月に手術で部分切除(胃を3分の2)。しかし5月に、手術の痕に突起のようなケロイド状の腫瘍ができました。

■2回目の手術
その腫瘍を除去するため8月に前田外科病院で2回目の手術。しかしほとんど手が付けられない状態で無意味な手術に終わり・・・、前田外科病院はこれ以上の手術は無理だと判断し、放射線治療を勧めました。

しかし逸見政孝さんは納得できず、前田外科病院ではなく東京女子医大病院で3回目の手術を決意。

■3回目の手術
9月16日、東京女子医大病院で手術。
がんのステージはかなり進行して腹部の広範囲に広がっていて、内臓3kgを除去する13時間の大手術でした。手術の成功確率は数%と言われていました。

手術の内容
・胃の全摘出
・脾臓、大腸、小腸の一部
・欠損した腹壁を大腿部からの皮膚移植で形成

手術後は、猛烈な痛みと抗がん剤による副作用に苦しむことに。
 
 

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■断末魔(死にぎわの苦痛)がひどい

10月23日、回復が認められ一時帰宅が決まった日、腸閉塞を発症して病状が急激に悪化。

抗がん剤の影響で、常に吐き気があり、体力は低下してぐったりし、話すこともできない酷い状態でした。

12月21日、40℃以上の高熱を出して容体が急変。

12月25日、話すことさえできない断末魔のなか、苦しみながら死去しました。

がん告白の記者会見からわずか3ヶ月後のクリスマスでした。

■前田外科病院の誤診だった?

逸見政孝さんは1月に、前田外科病院の内視鏡検査でがんのステージは初期と診断されました。

しかし実際には、進行の速い「スキルス性のがん」が膜内に広がっているステージ末期のがんでした。煙草の吸い過ぎが原因で発見できなかったようです。

また1回目の手術で部分切除せず、全摘していれば9月の大手術やそれで苦しむこともなかったのでは?と誤診を疑う意見もあります。がんは手術で刺激すると急激に増える・転移が広がる原因になるので手術は1回が良いとされてます。

9月の会見の時には、逸見政孝さんのがんは全身に転移していたので、手術をしないほうが長生きできたという批判もありました。

しかしこれは、前田外科病院は3回目の手術は無理だから放射線治療を勧めたのを納得できず、別の病院で手術を受けています。

まとめると前田外科病院の誤診を疑われてるの点は2つです。
● 1月の内視鏡検査もしく1回目の手術までに、進行の速い「スキルス性のがん」だと発見できなかったのか?
● 最初の手術で全摘していれば転移を防ぐことができたのでは?

当時は、セカンドオピニオンや緩和ケアは現在ほど浸透していませんでした。嫁の逸見晴恵さんもあとあと著書「私ががんを恐れなくなった理由」の中でこう悔やんでいます。

「手術をしなければ、あと1~2年は元気に仕事ができたかもしれない」
「主人の手術はやらないほうがよかった。あの時、どうしてセカンドオピニオンを受けなかったのか。悔やんでも悔やみきれません」
「手術をしない方が、抗がん剤を投与しない方が、苦しい思いをせず、長生きできたのでは」
引用:本「私ががんを恐れなくなった理由」

 
 

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●最後に 逸見政孝とたけしの関係


逸見政孝さんとビートたけしさんは、「平成教育委員会」の共演によって親友となった仲。

逸見政孝さんががん再発で再入院すると知った日から、ビートたけしさんはお酒とゴルフを辞めて、仕事も全部キャンセルしました。願掛けの意味だったかもしれません。

葬儀では「いい人ばかり先に死んじゃうんだ。俺がもっと悪いことを教えてあげればよかった」と号泣。

子供のように泣きじゃくり、弔辞を読むことが出来ず、代わりに山城新伍さんが読んであげました。

2年後にスクーターで交通事故を起こし一命をとりとめたときも「逸見さんが守ってくれたんだろうな」と会見で語りました。

2人で盛り上げた「平成教育委員会」は逸見政孝さんの死後も1997年9月まで続き、最終回でビートたけしさんは「あの、なんか、すいませんでした。ゴメン・・・いろいろみんなありがとう・・・・・・なんてね!!」と涙をこらえていました。

そして第1回放送後の逸見さんとのトーク映像が流れ、2人の関係を偲ばせたのでした。
 
 



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