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コロナで延期なってる【半沢直樹の続編2(ロスジェネの逆襲)】の実在モデル企業について、東京スパイラルと瀬名社長のモデルは誰なのかに迫ります。
物語のなかで東京スパイラルは、若干30才の瀬名社長によるIT企業で、株価はうなぎのぼりを続ける快進撃をつづけています。
その瀬名社長が東京スパイラルを立ち上げるまでには父親の死など苦しい経緯がありました。
東京スパイラルと瀬名社長の実在モデルは、モデル企業がライブドアで、人物モデルは堀江貴文さんだといわれてますね。
目次
●半沢直樹2ロスジェネの逆襲【東京スパイラル】とは?
東京スパイラルとは、社長の瀬名洋介が仲間数人と起業した会社。インターネット関連ソフトの販売業務から出発し、いまや売上1000億円をこえる規模に成長させた手腕は高く評価されています。
■瀬名社長の会社員時代
瀬名社長は高校卒業後、家庭の事情から大学進学をあきらめて、都内にある小さなソフト開発会社に就職しました。
もともとパソコンが好きで趣味はプログラミングで、凝るととことんやらないとすまない性格。持前の明るさと頭の良さから、営業見習いとしてからスタートするとたちまち先輩社員をしのぐ成績を上げてトップ営業マンに昇りつめました。
その後、営業を兼務するシステムエンジンアになってプログラミングの腕に磨きをかけながら3年間ほど馬車馬のように働いたのですが、なんと会社が倒産し、失業の憂き目にあいます。
再就職しようにもバブル崩壊後の経済は冷え切っており、大卒でも就職がままならない就職氷河期が到来しました。
■25才で「東京スパイラル」を起業
「会社も世の中も頼りにならない」と痛感し、同僚2人と組んで、会社勤めで貯めたなけなしの金を出しあって資本金はたったの100万円で起業します。
インターネット隆盛の時代、ウェブ関連の最先端スキルを強みにソフトのネット販売の会社「東京スパイラル」を立ち上げました。
瀬名が社長に就任した理由は単に発起人というだけではく、ポータルサイトのプログラムスキルを持っていたから。営業で瀬名の先輩だった加納が営業部長になって、当時、世田谷にあった瀬名のアパートを本社としてスタート。
■検索エンジン「スパイラル」でブレイク
検索エンジン「スパイラル」を立ち上げますが、アメリカ生まれの検索サイトの日本版が幅を利かせるなか当初、瀬名たちの冒険に対する見方は否定的なものばかり。
「そんなものが受けいられるはずはない。すぐ潰れる」
しかし忠告をはねのけて、その利便性から瞬く間にユーザーを増やし、飛躍の原動力となったのでした。
■上場
当初及び腰だったクライアントたちが次第に注目し始め、起業2年後には検索のエンジンの利用率でトップに躍り出ました。大手の一部上場企業を何社もクライアントに抱える有望株に成長。
晴れて上場を果たしてからは、止まるところを知らぬ快進撃で瀬名社長はIT起業家としての評価を確たるものにしました。
右肩あがりの急成長が続き株価もうなぎのぼり。瀬名社長は100億円近い創業者利益を得たのでした!
●東京スパイラルの実在モデル企業はライブドア?
東京スパイラルの実在モデル企業は、ホリエモンこと堀江貴文さんが社長を務めた「ライブドア」だと言われています。
「ロスジェネの逆襲」読了。
面白かった。
元ネタは、ライブドア事件。
堀江氏をモデルにしている社長に対しては、嫌悪感を抱かせる書き方はしていないことに好感を抱いた。
次は、「下町ロケット2」か、「銀翼のイカロス」か…笑— 横分けユウジ (@yokowakeyuji_GO) July 5, 2016
■ライブドアとは?
1996年、堀江貴文さんは東大在学中に学生4人でWebサイト制作の会社「有限会社オンザエッジ」を起業。急成長を遂げて株式会社化し、東京証券取引所マザーズ市場に上場。
その後ネット広告やデータセンター事業などに参入、ソフトウェアの代理店も手掛け事業の幅を広げます。
2002年11月、経営破綻したライブドアからネット無料接続サービスとブランドを譲渡され、オンザエッジから社名も変更して堀江貴文さんの「株式会社ライブドア」が誕生!
50社近くを買収してM&Aで急成長をとげ、2004年頃からは電子マネーなど証券のイーファイナンスが中核事業となっていきました。
●半沢直樹2ロスジェネの逆襲【東京スパイラルの瀬名社長】とは?
東京スパイラルの瀬名社長はまだ30才の若手社長。Tシャツにジーパンというラフな服装と歯に衣着せぬ発言で、その一挙手一投足に注目が集まっていますが、そうなるまでには父親の死など苦労がありました。
■父親の死
父親は瀬名が高校2年生のときに死去。株投資で失敗し、巨額の借金を抱え自ら命を絶ち、親族だけの簡単な葬儀を執り行いました。
当時少し前までの好景気はじりじりと失速。株価は値下がりを続け「また上がるだろう」という世間の能天気な思惑と期待を裏切り、値を下げ続けました。
父親が勤める不動産会社の業績も暗雲が立ちこね始め、聞きなれないリストラという言葉が一般的になり、父親がそのリストラの対象になっていたことが瀬名が知ったのは死後のことでした。
生前の父親は、悩み苦しみヒステリックになり、ちょっとしたことで瀬名や母に当たり散らすようになっていました。電話が鳴るたびドアがノックされるたびに怯え、父にとって億に近い借金は逃れられない蟻地獄でした。
■母親と2人くらし
残された母親と瀬名は母子2人だけの質素が生活が始まりました。家も貯金も財産はすべて借金返済のため失いアパート暮らし。給料も一部差し押さえられ極貧。
父親が死んで一つだけよかったのは債権者の督促が終わったこと。
ずっと専業主婦だった母親は、昼間スーパーで働き、夜は近くの飲食店で深夜まで働きました。瀬名はそんな母を少しでも楽にしてやろうと放課後は近くのコンビニでバイト。土日もほとんどバイトで埋めて、バイト代は一銭も遣わず母に渡し、家賃と食費、最低限の光熱費、高校の学費をなんとか捻出しました。
唯一の贅沢はたまに母と近くのラーメン屋で食事することくらい。
母親が瀬名の大学進学費用を貸してくれと実家に相談して断られたとき、瀬名は、自分の人生は自分で切り開くしかないと悟りました。
■父親の人生
父親は群馬の田舎から上京して東京の大学を出て、夢と希望をもって会社に就職。母と結婚して子供をもうけ、幸せな家庭を築いたはず。
「他人様に迷惑をかけるようなことはするな」と諭していた父は最後まで自己破産を申請しないまま死を選びました。遺言書には生命保険が降りたらどの会社にいくら返済してくれと細かく書いてありました。
瀬名は今でも父親の人生はなんだったのかと考えることがあります。
●東京スパイラルの瀬名社長の実在モデルは堀江貴文?
瀬名社長の実在モデルは堀江貴文さんだといわれています。Tシャツとジーパンの瀬名社長のイメージは当時の堀江貴文さんにぴったり。
@takapon_jp そういや今話題の半沢直樹の原作者の池井戸潤さんの小説「ロスジェネの逆襲」の瀬名社長のモデルはホリエモンだな。
— ごーるどまん (@goldman432) September 17, 2013
名前:堀江 貴文(ほりえ たかふみ)
生年月日:1972年10月29日
出身地:福岡県八女市
中学:久留米大学附設中学校
高校:久留米大学附設高校
大学:東京大学文学部(中退)
堀江貴文さんは意外にも茶畑に囲まれた山間部に生まれ育ちました。
父親は高校卒業後からずっとトラック販売会社で働いていたサラリーマン。九州一の超有名進学校出身ですが、テレビの巨人戦で勝てば満足の人。そのため家に本棚さえなかったですが、当時流行の訪問販売で買った百科事典のおかげで堀江貴文さんは成績優秀児でした。
地元が自分の居場所じゃないと悩んでいたなか担任から進学塾を勧められたのがきっかけで、福岡県一の進学校・久留米大学附設中学校に進学し、そのころにコンピュータと運命の出会い。
中学2年生のとき塾の教材システムの移植作業を頼まれて初めての仕事。ギャラは中学生には大金の10万円!一方でコンピュータにハマりすぎて成績がトップ10からビリ寸前にまで転落します。
コンピューターにハマればハマるほど地元のパソコン環境に幻滅した結果コンピュータから離れます。
こんな環境から抜け出すため上京を決意。ただ早稲田や慶応は学費が払えないので、両親を説得しやすい東京大学を目指すことに。
英単語をすべて丸暗記してセンター模試で正解率90%以上を達成し、現役で東京大学に合格しました!
そして大学在学中にプログラミングのバイトをしてインターネットと出会い、ライブドアの前身となる有限会社オン・ザ・エッヂを設立!
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