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2020大河ドラマ『麒麟が来る』で女優の芦田愛菜さんが演じる『細川ガラシャ(玉子)』の生涯と家系図に迫ります。
『細川ガラシャ』とは、もう名前がインパクトありますね。実はもともとの名前は『玉子』で、キリスト教の洗礼を受けて『ガラシャ』になってますが、
幸せと不幸の落差がスゴい、激変の連続の生涯でした。
そんな『細川ガラシャ』の家系図や、その後、子孫はどうなったか?調べてみました。
目次
●細川ガラシャとは?
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細川ガラシャとは、明智光秀の娘『玉子』がキリスト教の洗礼を受けた名前です。
父親は明智光秀、母親は煕子(ひろこ)で、三女(次女説もあり)として越前国で生まれたといわれてます。
16歳のとき明智光秀の主君・織田信長の命令で、山城国勝龍寺城(京都府長岡京市)主の細川忠興と結婚しました。同い年の美男美女カップルだったので織田信長に「人形のような夫婦」といわれたそうです。
『玉子』は17歳で長女を出産、18歳で長男の忠隆を出産し、幸せな結婚生活だったと思われます。
■本能寺の変で人生が激変
ところが『本能寺の変』でどん底に落とされます。
よりによって主君の織田信長を自滅に追い込んだ首謀者は父親の明智光秀!
娘である『玉子』は反逆者の娘として、丹後国味土野(京都府京丹後市)に幽閉されます。
■キリスト教との出会い『ガラシャ』誕生
幽閉は2年で解かれ、大阪で夫婦生活を取り戻し、翌年に次男の興利を出産、翌年には忠利を出産。幸せが戻ってきたようです。
そんななか美人で有名だった『玉子』は豊臣秀吉から呼び出されます。いざという時のために短刀を懐に隠してることを知った豊臣秀吉は、その心掛けを褒めたのでした。
同じ頃、『玉子』は旦那の同僚、高山右近からキリスト教を知って密かに興味。
旦那が戦で九州に行った隙に、小侍従とともに教会を訪れ、初めてキリスト教の説教を聞き、スペイン人の宣教師もビックリするくらい的確な質問をしたそうです。
すると教会に行ったことが細川家の家臣にバレて、外出禁止に・・・。
しかし『玉子』は熱心だったので、小侍従を教会に行かせてキリスト教を学ばせて、間接的に自分も学びました。
やがて洗礼を受けて『ガラシャ』の名前を得たのでした。
■関ヶ原合戦でまた激変
しかし『関ヶ原の合戦』でまた人生が激変。
合戦前の夏、大坂城に入れという石田三成の命令を拒否。旦那が東軍だったから敵方に身を投じるわけにはいかなかったのです。
キリスト教では自殺が禁止されているから、『細川ガラシャ』は屋敷で家臣の小笠原少斎に刀で胸を突かせて38歳で死にました。
葬儀は旦那の忠興がキリスト教式に盛大に執り行ったそうです。
彼女のことは海外にも伝わり、生涯が戯曲として演じられました。
そんな『細川ガラシャ』の家系図(子供と子孫)紹介します。
●細川ガラシャの家系図 兄弟は?
『細川ガラシャ』の兄弟は、三男四女兄弟だったといわれてます。
長女:明智光春の嫁
次女:明智光忠の嫁
三女:細川忠興の嫁(細川ガラシャ)
四女:織田信澄の嫁
長男:光慶(十兵衛)
次男:光泰(十次郎)
三男:乙寿丸
●細川ガラシャの家系図 子供と子孫は?
■長男:忠隆
前田利家の娘と結婚。
長男の娘・徳は公家の名家『西園寺』に嫁ぎ、その子孫は孝明天皇(明治天皇の父親)です。
政治評論家の細川隆一郎も子孫で、娘はジャーナリストの片平珠生さん。息子の片平凌吾(15歳)は『サンドイッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』に出演経験があります。
■次男:興秋
大阪の陣で豊富方につき、父の命令で切腹して死亡・・・。
若くして死去したので子孫がいません。
■三男:忠利
徳川家康のひ孫と結婚。小笠原秀政の次女の保寿院で、大叔父にあたる第2代将軍・徳川秀忠の養女です。
肥後国熊本藩初代藩主となりガラシャの血筋が代々藩主を務めましたが、第7代の治年は跡継ぎのいないまま死んだので、忠利の家系でガラシャの血筋は途絶えました。
跡取りは、熊本宇土藩の細川立札を養子にして、細川斉茲に改名して、第8代の藩主にしました。
●まとめ
細川ガラシャの生涯と家系図を紹介しました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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