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24時間テレビ2016のドラマ「盲目のヨシノリ先生」は、秩父の中学教師・新井淑則さんの実話をドラマ化したものです。
新井淑則さんの、網膜剥離の原因から現在までの復活実話をまとめたwikiを見ると心打たれます。
ある日突然、目が見えなくなる恐怖・・・網膜剥離の原因はスポーツや事故が思い浮かびますが、新井淑則さんの場合はそうではありませんでした。
半年間泣き続けた絶望から新井淑則さんを救ったのは、妻・真弓さん、そして同じような境遇をもつ人達や視覚障害の高校教師との出会いでした。
現在は、秩父の普通中学で教師を務めています。
wikiには、復活までの道のりをまとめてみました。
実話であることでリアルに心に響きます。
目次
●(盲目のヨシノリ先生)新井淑則 wiki風プロフィール
生年月日 1961年生まれ現在55才
出生地 埼玉県
大学 中央大学(1984年卒)
職業 中学校教師
家族 妻・真弓(中学音楽教師)
子供3人(長女・次女・長男)
■大学卒業後、教師に
1984年23才の頃、中央大学を卒業後、東秩父にある中学校に、新任の国語教師として赴任しました。
■結婚
1985年24才の頃、教師2年目で秩父第一中学に異動。
そこで音楽教師だった真弓さんと出会い、結婚します。
■初めてクラスの担任に
1987年26の頃、横瀬中学校に異動し、3年生のクラス担任に。
■長女誕生しかし網膜剥離
1989年28才の頃、クラス担任に加えサッカー部顧問になるなど順調な教師生活。
プライベートでも長女が生まれ幸せの絶頂期でした。
ところが突然、右目が網膜剥離を患い、手術・入院を繰り返しますが右目は失明してしまいます。
■特別支援学校へ
1993年32才の頃、特別支援学校に異動となります。
■両目を失明
1995年34才の頃、左目も視力を失い、両目が失明してしまいました。
新井淑則さんは3年間、生きがいだった教師の職を離れることに。
失明の絶望から、自ら命を絶つことも考えましたが、妻の支えはもちろん、リハビリを通して出会った自分と同じ境遇の人々の存在が、気持ちを前向きに変えてくれました。
そして、視覚障害を持つ高校教師との出会いをきっかけに、教師の仕事に復帰することを決意。
■教師に復活
1997年36才の頃、失明から2年後。特別支援学校の教師に復活しました。
■普通学校へ復活
2007年46才の頃、ずっと望んでいた普通学校への復活が叶います。
支援者たちの支えもあり、埼玉県長瀞町立「長瀞中学校」に赴任できました。
■クラス担任に復活
2014年4月52才、23年の時を経てついにクラス担任にも復活を遂げます。
全盲の教師が、中学校でクラス担任になるのは全国で初めてのことでした。
●(盲目のヨシノリ先生)新井淑則 網膜剥離の原因は「近視」だった
1989年28才のある日
新井淑則さんは突然、目の前に「虫がたくさん飛んでいる」のが見えました。
これは飛蚊症といいます。
翌日になると、右目の視界の3分の2が真っ暗に。見えるのは3分の1だけの状態。
網膜剥離でした。
■原因は?
網膜剥離の原因は、スポーツや事故で受けた頭や目への強い衝撃が挙げられます。
しかし新井淑則さんはそういったことはなかったのです。
なぜ新井淑則さんが網膜剥離になったのでしょう?その原因は「近視」でした。
実は新井淑則さんは強度の近視で、コンタクト利用者でしたが、生活に支障はありませんでした。
しかし強度の近視というのは、
・眼球のレンズと網膜の距離が遠く
・網膜が引っ張られて、張り裂けそうな状態
・例えばピチピチすぎるTシャツを着ている状態
・いつ破けてもおかしくない状態
なのです。
だから新井淑則さんの網膜剥離は、強度の近視が原因で起こるべくして起こったことでした。
■絶望
網膜剥離になった新井淑則さんは、クラス担任もサッカー部の顧問もはずされました。
仕事も家庭も順調だった幸せの絶頂から一変、絶望に落とされたのです。
教師という生きがいを失った新井淑則さん。
4年後、手術・入院を繰り返すことで学校を休みがちなことが原因で、特別支援学校「埼玉県立秩父養護学校」に異動となります。
3年後には、左目も網膜剥離を発症し、半年で6回の手術を行うも失明・・・両目を失明してしまいました。
●(盲目のヨシノリ先生)新井淑則 絶望からの復活
両目を失明した新井淑則さんは「生きていてもしょうがない」と思うようになりました。
仕事のことも、家族のことすら考える余裕がなくなり、泣き続けました。
半年間、ずっと泣き続けました。
■妻が出会わせてくれたリハビリ仲間
泣きつかれ、もうこれ以上ないどん底にたどり着いた時。
妻・真弓さんの勧めで、所沢の障害者リハビリセンターでリハビリを受けることに。
それまで家に引きこもっていた新井淑則さんは、ここで同じような境遇の人達に出会います。
「ツラいのは自分だけじゃないんだ」
障害があっても頑張っている彼らとの出会いが、新井淑則さんの気持ちを前向きに変えていきました。
■リハビリで自由を手に入れる
前向きになった新井淑則さんはリハビリに励み、所沢の次は上尾で10ヵ月の泊まり込み訓練も受けました。
点字を指先だけで読む作業は、最初は「出来る訳がない」と思いましたが訓練を積むうちに点字がわかるようになりました。
リハビリセンターも指導員も「命にかかわることだから」と命がけで厳しく指導してくれました。
こうして新井淑則さんは
・点字で本も読める・Cメールも出来る
・白杖で歩くこともできる
と自信をつけ、希望が持てるようになりました。
さらに、1ヶ月泊まり込み訓練で盲導犬を取得して、歩く自由も手に入れました。
■妻・真弓の支え
新井淑則さんが両目を失明したのは、3人目の子供が生後半年の時。
妻・真弓さんは、
・長女を車の後部座席に乗せ
・次女を背中におんぶして
・乳児の長男を前に抱えて
新井淑則さんの世話もするなど、大変な苦労をしました。
「妻には感謝しても感謝しきれない」新井淑則さんは素直にそう語っています。
■教師復活の決め手は、視覚障害の高校教師
上尾で10ヵ月の泊まり込み訓練中、新井淑則さんは視覚障害の高校教師と出会います。
県立岩槻高校で物理教師・宮城道雄先生です。
「教師復活は無理」と考える新井淑則さんに、諦めず何度も懸命に励ましてくれたのが宮城道雄先生でした。
両目失明から3年後、新井淑則さんは特別支援学校の教師として復活できました。
しかし全盲の教師が知的障害の生徒を教えるのは大変なことでした。
通勤も片道2時間でした。
■たくさんの人のおかげで普通中学に復活!
新井淑則さんは普通中学校への異動をお願いしました。
宮城道雄先生やほかの先生たちも一緒になって埼玉教育委員会に交渉しました。
10年交渉を続け、それでも聞き入れてもらえず、県議会で取り上げてもらいました。
1人の議員のおかげ知事の耳に入り、事態は急転。
新井淑則さんの受け入れ先を知事を募ると、長瀞町の大澤町長がすぐ名乗り出てくれました。
実は大澤町長は以前に、夫婦で新井淑則さんの講演を聞いていて、周囲は反対したそうですが「この人なら大丈夫」と信じていたからです。
こうして交渉から10年目、普通中学校に16年ぶりに復活できました。
諦めずやってこれたのは、支えてくれた大勢の人たちのおかげでした。
●(盲目のヨシノリ先生)新井淑則 現在は?
新井淑則さんは現在、埼玉県皆野町立「皆野中学校」で教師をしています。
ヨシノリ先生は全員の声を聴き分けることができます。
その理由は、ボイスレコーダーで、100人近い生徒の声を何度も繰り返し聞いて、一人ひとり覚えました。
ヨリノリ先生「おじさん頑張ってますよね(笑)」
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