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宇多田ヒカルさんが9/19(月)のMステウルトラフェス10時間SPで、エヴァンゲリオン新劇場版Qの主題歌になった「桜流し」を披露します。
そこで「桜流し」歌詞とその意味について調べてみました。
すると、震災や母・藤圭子さんのことを歌っているようだとわかりました。
悲しみから、力強く前に進む姿を、宇多田ヒカルさんが美しい楽曲で表現しています。
目次
● 宇多田ヒカル「桜流し」歌詞の意味は?
タイトルの「桜流し」の意味は辞書では
「散った桜が、春の雨に水に流れるさま」のような意味となっています。
■「桜流し」歌詞の意味は震災?
エヴァンゲリオン新劇場版Qの映画の内容ともリンクしているようですが、「桜流し」の歌詞の意味は、東日本大震災のことを歌っているのではといわれています。
歌詞を見てもそう解釈できますし、映画のブックレットに記載された宇多田ヒカルさんがでコメントが意味深です。
「主題歌「桜流し」を歌った宇多田ヒカルさんは庵野総監督から曲の依頼を受けた時に言われた「もしも表現者であるならばこの震災から目を背けて作品を作ることは決してできない」という言葉に共感し、引き受けた」
— ららみ (@rrmy_eva53) 2016年9月18日
歌詞を見ていくと
「アナタ」は桜の散ったあとに亡くなったと解釈できます。
震災は3.11。桜が津波に流されたと想像できます。
亡くなったあと、街が復興していく様子を「アナタ」は喜ぶだろうとも。
「アナタ」とは、震災で亡くなられた人たちのことを歌っているのだとおもいます。
英語のフレーズ(最後には、誰もが愛を見つける)も、心に響くものがあります。
歌詞の後半
は、悲しみを意味していると思います。
悲しくても怖くても現実から目をそらないで、前を向いていく姿が感じられます。
■「桜流し」歌詞の意味は母親?
もうひとつの意味として、宇多田ヒカルさんの母親のことを歌っているとも解釈できます。
宇多田ヒカルさんの母・藤圭子さんは、2013年8月22日に亡くなりました。
長い間、現実と妄想の区別がつかなくなるほどの精神病に悩まされ、最後には自殺しました。
そのときの心境を宇多田ヒカルさんは
「母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかり」
と語っています。
ニューアルバム「Fantome」は母へ捧げたアルバム。
4月に配信限定リリースされた収録曲「花束を君に」「真夏の通り雨」は、母のことを歌っているとリスナーも気付いて反響があったそうです。
「桜流し」が「Fantome」のラスト曲になっていることからも、母のことを歌ったと思われます。
● ネットの反応
宇多田ヒカルの桜流しはカヲシンにも聴こえるし、震災で亡くなって人に向けての曲にも聴こえる
— とも子 (@totommw0404) 2016年9月18日
桜流しは私の中では震災の曲なのだ………… いや、もちろん、CP妄想的にも捗る曲だと思うけど 前提がそれなんだ……。
— ヒヅキ (@TokiwaHiduki) 2016年9月18日
宇多田ヒカルの「桜流し」、やっぱり「もう二度と会えない」ってのは自殺した母親、藤圭子のことだろうか。
宇多田の歌詞の多くは彼氏とかというより、母に宛てたものとして聴いてしまう。それにしても凄味を感じる。
— かみるん (@3121Rain) 2016年9月18日
桜流しの発表時期は藤圭子さんが亡くなられる前だからこの歌詞関しては母のことを歌っているとは思えない。母の残像を表すアルバムといえば納得するがあくまで母のことを歌った曲(=桜流し)というのは安直であり、歌詞しか見ていないことがわかる。
歌詞を解釈するのは多方面からあり聞き手によって変わってくるのはわかるが安易に思い込みで都合よく勘違いされるのも困りものである。
どのように受け止めても良し。困る必要なし。