_
雨上がり決死隊・宮迫博之さんと同期だった芸人に伝説の天才漫才コンビ「ベイブルース」がいました。
「ベイブルース」は高山トモヒロさんと河本栄得さんの2人。
天才漫才コンビと称され、次世代のダウンタウンとして期待の若手ホープだったのですが、突然相方・河本栄得さんが死去。
25才で死去した死因は病気「劇症肝炎」でした。
河本栄得さんには芸人の彼女がいて、ココ姉さんの愛称だった「メンバメイ」のココ・シャネルさん。
葬儀には彼女も駆けつけました。
高山トモヒロさんは彼女と結婚していて子供もいたのですが、相方の死によって地獄の日々が始まります。
結婚した彼女は20年間、旦那の高山トモヒロさんを支え続けてきました。
目次
■高山トモヒロの元相方 河本栄得(画像あり)
初挑戦
もうすぐ河本栄得さんの命日&誕生日です。かわもっちゃんの誕生日までに500リツイスト目指します。自分が出来ることといえば黙祷と世間のみなさんにかわもっちゃんのことをしったり思い出してもらうためにこうして拡散することしかできません。みなさんリツイストよろしくお願いします! pic.twitter.com/74Jt2oc7Up— お笑い大好き! (@G0jySm) 2016年10月24日
高山トモヒロさんと元相方の河本栄得さんは、高校の同級生でした。
大阪市立桜宮高校で同じ野球部でした。
お笑い芸人を目指してコンビ「河本・高山」を結成しNSCに7期性で入学。
NSC卒業後はコンビ名を「ベイブルース」に改名。
同期には雨上がり決死隊など。
宮迫博之さんとも仲良しでした。
河本栄得さんのストイックなネタ作りと、誰よりも長い練習時間には芸人たちから一目置かれていました。
漫才では、様々なボケを終始不機嫌な顔で繰り出すの河本栄得さんのインパクトと
高山トモヒロさんによる絶妙なタイミングでのツッコミが、魅力でした。
■容赦ないダメ出し
「ベイブルース」の実力は、彼らのストイックな練習によるものでした。
実は高山トモヒロさんは元相方の河本栄得さんから
「俺の精密機械になれ」
と言われ、ツッコミの声のトーンやタイミングまで全て決められたそうです。
完璧になるまで何度もやり直しされ、その姿はまるでで生き急いでいたかのようでした。
楽屋ではいつも、高山トモヒロさんはダメ出しされていいて、周囲も黙ってしまうほど容赦なかったとか。
■情が深く後輩思い
河本栄得さんは相方に容赦ないダメ出しをするコワモテな一方で、情が深く後輩思いな一面もありました。
後輩だった星田英利さんは「当時、焼鳥屋からラーメン屋をはしごしては悩みを聞いてもらった」と語っています。
売れていない後輩たちに声をかけては、自分は食べずに焼肉をごちそうして悩みを聞いていたそうです。
■次世代のダウンタウン「ベイブルース」
「てんそ」こと吉本印天然素材の千原兄弟などと共に、「ベイブルース」は90年代前半の吉本の若手をけん引していました。
上方お笑い大賞をはじめ数々の漫才コンクールで賞を総ナメにして「次世代のダウンタウン」と称されるほど期待の若手ホープ。
飛ぶ鳥を落とす勢いでスターへの階段を上っていました。
当時若手だったペナルティのワッキーさんによると
観客の地震のように笑いで、銀座7丁目劇場が揺れていたそうです。
1年後輩FUJIWARAの藤本敏史さんも
「周りの若手が荒削りな中でベイブルースのネタだけは秀逸で、とにかく面白かった印象がある。スベったところを見たことがなかったし、いつか天下を取る人たちだと思っていた」
■河本栄得が突然の死去 死因は病気「劇症肝炎」
飛ぶ鳥を落とす勢いだったベイブルース。
しかしある日突然、河本栄得さんが体調不良を訴え入院します。
ただの風邪だと思って高熱にも拘わらずライアスロン企画に参加し、完走したあと倒れて入院したのでした。
後輩のFUJIWARA藤本敏史さんはバラエティー番組の控室で、
「最近調子が悪くて、微熱が続いてんねん」
と聞かれて
「病院に行ってください」
と答えたのが最後の会話だったと振り返っています。
1994年10月31日
それからわずか2週間後、河本栄得さんは死去してしまいます。
死因は「劇症肝炎による脳出血」
26才の誕生日の前日でした。
■ラジオで相方の死去を報告
河本栄得さんが死去したその日、実はベイブルースのラジオ生放送が。
しかしマスコミによる死去発表は翌日と決まっていたため高山トモヒロさんは相方の死を知っていても
「あいつは大丈夫やから。今日も笑っとった」
とラジオで話すしかありませんでした。
マスコミで河本栄得さん死去が報じられてから最初のラジオで
「隠しててごめんなさい」
とファンに謝罪。
「嘘をついてました。入院中の放送では元気ですよ!と言っていましたが、実際河本は意識不明でした」
と話したのでした。
雨上がり決死隊・宮迫博之さんは、葬儀で河本栄得さんの死に目に会った時
「東京でビッグになる」
と誓って、決意を固めたといいます。
それだけ河本栄得さんと仲が良く、影響力があったということです。
■劇症肝炎とは?
河本栄得さんの死因である劇症肝炎とはどんな病気なのでしょう?
劇症肝炎とは、急性肝炎のなかでもとくに重症のもので、高度の肝機能不全(かんきのうふぜん)と意識障害(肝性脳症(かんせいのうしょう)または肝性昏睡(かんせいこんすい)と呼ぶ)を特徴とします。
ウイルスと薬物(アレルギー)が主な原因です。自己免疫性によるものも、まれにみられます。
劇症肝炎に特徴的な症状は肝性脳症(意識障害)ですが、初期症状は通常の経過をたどる急性肝炎と何ら変わりはありません。前述したように発熱、かぜ様症状、倦怠感、食欲不振、吐き気、嘔吐などが最初に現れ、尿の色が濃くなって黄疸(おうだん)に気づくようになります。
引用:https://health.goo.ne.jp/medical/10I10600
■ベイブルース高山トモヒロの元相方 河本栄得の彼女は・・
高山トモヒロさんは、ベイブルースでデビューする前に彼女の美喜子さんが妊娠して結婚しました。
彼女はNSCの同期芸人だったのですが、結婚したためデビューしていません。
一方、元相方の河本栄得さんの彼女もNSCの同期芸人でした。
漫才コンビ「メンバメイコボルスミ11」のココ・シャネルさんこと栄 孝子さんです。
彼女の相方はビク・トリアこと岡村理世さん。
2人は1985~1988年の3年間活動しました。
ダウンタウンの伝説の番組「4時ですよ~だ」にも出演歴があります。
ビク・トリアが先に芸人を辞め引退し、河本栄得さんの彼女ココ・シャネルは残ってピン芸人として続けたものの、現在は引退しています。
河本栄得さんの葬儀にももちろん参列。
そこには山田花子さんや陣内智則さんなどほかの芸人仲間もいました。
■ベイブルースが映画に
高山トモヒロさんは、元相方との想い出を記した小説を、自分が監督となって映画化しています。
2014年10月31日公開「ベイブルース ~25歳と364日~」です。
NSCで同期だった雨上がり決死隊の宮迫博之さんを始め、ココリコ遠藤章造さん、オール阪神・巨人のオール巨人さんなど芸人らが多数、友情出演しています。
この記事へのコメントはありません。