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女優の樹木希林さんが死去しましが、死因は明かされていません。死因はなんでしょう?
樹木希林さんといえば日本が誇る名女優で老婆役がハマリ役ですが、若い頃に再婚した旦那の内田裕也さんとの2ショット画像はすごくかっこいいです。娘の結婚相手が本木雅弘さんというのも有名ですね。
そんな樹木希林さんは、2004年の乳がんから始まった全身ガンの状況という中、ある治療法のおかげでガン患者だと思えない元気な姿が印象的でした。しかし先月、一時危篤に陥りました。
一時危篤から持ち直してまた元気な姿を見せてくれるはずだったのですが、死去・・・死因はガンの状況と一時危篤に原因があるのかも。
目次
●樹木希林 まずは若い頃から現在までの簡単なプロフィール(画像)
樹木希林さんは20代から老婆を演じたがハマり役で、コメディからシリアスまでこなす日本を代表する個性派・演技派女優でした。
「社員がいると責任を感じる」との理由から事務所に所属しないで、マネージャーいないから、大物女優なのにスケジュール管理かもギャラ交渉もなんと自分でやってました。ギャラ交渉では作品次第ではタダで出ることもあったり、ギャラを上げてもらうために「それじゃ出られないわ~」「台詞忘れちゃう~」と駄々をこねたりお茶目な面も。
↓若い頃の画像
昔、お家のCMの夫婦共演で話題だった樹木希林さんがお亡くなりになったそうだ。
お騒がせな内田裕也さんとのCM共演。
セリフも意味深でした。
内田裕也さんがとある事件でCMが1人になった時のついに1人になりました的なあの台詞は単なるCMなのに深みを感じました
謹んでご冥福をお祈りいたします。 pic.twitter.com/JfqS5xkLb3— 骨休 ポリ吉 (@6WORp90A08XfYy9) 2018年9月16日
CMは1980年の『美しい人はより美しく、そうでない人は其れなりに』という富士フイルムなどや、数々の映画・ドラマで活躍し、最近はカンヌ国際映画祭でパルム・ドールに輝いた是枝裕和監督の「万引き家族」に出演したのが遺作となりました。
プライベートでは1964年に俳優の岸田森さんと結婚するも、4年後に離婚。
その後、1973年に内田裕也と再婚するも、僅か1年半後からずっと年に1度しか会わないような別居を続けていましたが、夫婦関係はあり1976年2月11日に娘の内田也哉子さん(ややこ)を出産。
↓若い頃の夫婦画像がすごくかっこいいです。まさにロックな感じ。
樹木希林さんと内田裕也さんの昔の写真は当然カッコいいんだけど、ゼクシィのCMで共演した時の「長年別居しているけど夫婦をやめない」カッコよさってのもたまらなかった。他の夫婦が真似できるものでもない。 pic.twitter.com/1QSYCFzlh7
— こんにちは (@tune_of_life) 2018年9月16日
娘の内田也哉子さんは1995年に本木雅弘さんと結婚。孫は、1997年に長男・雅樂(うた)くん、1999年に長女・伽羅(きゃら)ちゃん、2010年次男・玄兎(げんと)くんを出産しました。
●樹木希林 現在までのガンの状況
2003年には網膜剥離で左目を失明。その翌年に乳がんが発覚しています。
■2004年6月 乳がん発覚
2004年6月、樹木希林さんは自分で触診して乳がんを直感。3ヶ月後の9月にやっと病院に行って乳がんを宣告されます。
■2005年1月 乳がんの手術
2005年1月、乳がんの状況はやや大きい2~3cmになっていて、右の乳房を全摘手術。
手術後、女性ホルモンをイヤイヤ飲みますが、1か月後には『飲んではいけない』と身体が訴えていると直感し、飲むのをやめています。
■2007年 乳がんが再発
2007年には乳がんが再発し、放射線治療を受ける状況に。
■2008年 全身がん
2008年、乳がんから始まったがんは、腸、副腎、脊椎に転移してる状況で『全身がん』と宣告されました。
『全身がん』という病名はありませんが、全身にがんが転移してるので表現としてそういう言い方をしています。
■2013年 全身がんを公表
2013年2月、樹木希林さんは「日本アカデミー賞」表彰式のテレビ中継で、全身がん公表しました。
■2014年1月 がん療終了を公表
●樹木希林 長生きできた不思議なガンの状況
樹木希林さんは全身がんという最悪の状況のはずなのに、元気で女優業を続けてるように見えました。がんになるとどんどん弱っていくイメージがあるのに不思議です。
実は樹木希林さんは最初の手術のあと、独学でがんを猛勉強した結果、ピンポイント放射線治療が体への負担が少ないと知りました。
乳がんが再発してからは、抗がん剤治療は絶対に受けない、手術も一切受けないと決め、ピンポイント放射線治療だけを少ない回数で続けるスタイルに。
九州鹿児島の病院「UMSオンコロジーセンター」で受ける四次元ピンポイント放射線治療は、時間軸を計算してがん細胞を追尾して狙い、ピンポイントで強力な放射線を当てることができます。値段は健康保険のきかない自由診療だから200~300万円かかるそうですが。
がんが再発するたびにピンポイント放射線治療をするから、結果的に元気に長生きできたというのが、不思議なガンの状況の真相でした。
でも元気そうに見えてもやっぱりがんなので、「瞬間芸だからね。みんなが帰ったあとにガク~ッとくる。今は気を張っている感じかな」と語っていました。
また「UMSオンコロジークリニック」のHPにはがんについてこうコメントが。
一つだけ確かなことがあります。それは、進行がんや転移がんを確実に治す方法などこの世にはどこにもないのに、現実には治る人と治らない人にはっきりと分かれるということです。
そして治った人、病気を克服した人は、ほぼ全員が無理ない形で医療の力を利用しながらも、最終的には自分の力で病気を克服しているということです。(中略)自分の身体の力でがん細胞と闘う免疫細胞にしっかりとスイッチが入ったということを示しています
引用:女性セブン2012年9月27日号
●樹木希林 8月に一時危篤だった
2018年8月13日、樹木希林さんは一時危篤に陥りました。
知人宅で転んで左大腿骨を骨折して手術をしたところ、気管支が弱いこと、がんであることが原因で、一時危篤の状態に。
その後 一時危篤から持ち直し、状態も落ち着いてリハビリしたものの、
『細い糸1本でやっとつながってる 声一言もでないの しぶとい困った婆婆です K.KIKI』と、義理の息子である本木雅弘さんを通じてイラスト付きのコメントをマスコミに発表したのでした。
そして復帰できる時期は未定といわれていたなか・・・
●樹木希林 死去・・・死因は?
9月15日、樹木希林さんは自宅で家族に見守られながら死去しました。
死因は公表されていませんが、全身ガンを抱えての骨折の手術で、かなり体力を消耗したことが死因ではないでしょうか。
骨折さえなかったら、死去することなくまだまだ元気でいられたと思います。
●最後に ネットのみんなの反応
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てか樹木希林さんの死因となった全身がんの原因も乳がんか
さくらももこさんといいほんと乳がんで亡くなる人が増えてる気がする(なお実際に増えてる)でも早期に見つかれば完治できるんだよな(うちの大学の病理診断の先生も早期に見つけて治したらしい)
乳がん検診はホント大事だと男性の私も思う
— ちょーめい.K (@ChoumeiComeon) 2018年9月16日
樹木希林さんって75歳だったのね。若い頃からずっしりとした役をこなされているのをお見受けすることが多くて、持ってるイメージより意外と若いんだというのは存じ上げていたのですが、自分の親と3つしか違わなかったのか…と改めて。いい役者さんでしたね。たまに素でお見受けする時も好きでした。
— あるちゃ@ファンという名の病が慢性期に入りました (@alphaindy) 2018年9月16日
樹木希林さんの訃報を受けて、娘に遺言。
60になったら断捨離とエンディングノート製作をする。
その前に急死したら墓も葬儀いらない。
母ちゃんの遺伝子を受け継いでしっかり生きろ!それが何よりの供養だから— おきらこ (@michinoueshogo) 2018年9月16日
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