_
自転車プロロードレーサー宮澤崇史さんが24時間テレビ2019で嵐の相葉雅紀さん主演でドラマ化が発表されたので、どんな人なのか紹介します。
宮澤崇史さんは自転車ロードレースのレジェンドで、経歴を見ると高校時代にいきなり好成績を出すと20才で日本代表に選ばれたすごい有望株でした。
一方、父親を早くに死去し、母親がシングルマザーで貧乏でも宮澤崇史さんの「日本一になる」夢を応援し続けました。
そんななか母親が病気で倒れ手術を受けることになるんですが、宮澤崇史さんは自転車プロロードレーサーとして母親を助けるためものすごい決断をします。その後の母親との絆は本当にドラマチックで感動の結末が待ってました。
また、宮澤崇史さんは結婚して嫁と子供がいるのでしょうか
目次
●自転車プロロードレーサー宮澤崇史 経歴プロフィール(画像)
🚲さいたまクリテリウム開催まであと10日‼️
今日は自転車プロロードレーサー兼監督の宮澤崇史さんが登場です❗️https://t.co/tWar1liqvI#さいたまクリテリウム pic.twitter.com/psyO3fcoFA
— ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム (@saitamacrite) 2017年10月25日
名前:宮澤 崇史(みやざわ たかし)
愛称:ブラーヴォタカシ
生年月日:1978年2月27日
年齢:現在41歳
身長体重:164cm・61kg
高校:長野県長野工業高校
宮澤崇史さんは3才から自転車に親しんで駆け回ってる子供でした。
しかし6歳で父親が病気で死去・・・母親はシングルマザーになり事務員で働きながら女手ひとつで、崇史さんと長女の妙子さん(2才年上の姉)を育てました。貧乏なので服は従兄妹のおさがりでした。
そんななか宮澤崇史さん中学生の時、テレビで「ツール・ド・フランス」を見て感動!プロの自転車選手を夢見て、母親の応援を受けて自転車競技に打ち込みます。
■高校時代
長野県長野工業高校時代、17才で1995シクロクロス世界選手権のジュニアに出場して22位の好成績をおさめました。
高校卒業後イタリアに留学し、自転車レジェンド大門宏さんに指導を受けました。
一方「アコム・ラバネロ」「FOR・3」「MOBILILISONE MAPEI」など各チームを経て、1998年に大門宏さんが監督を勤める「日本鋪道(現在のNIPPO)」に就職します。
その後「1997ツール・ド・おきなわ」で市民200キロレースで優勝を飾り、「1998全日本実業団選手権いわき大会」も優勝!20才で日本代表に選ばれ、日本一の夢まであと一歩というき、
2年間は母親の病気が理由で自転車競技を休みました。
■再起
2001年23才で「日本鋪道(現在のNIPPO)」に復帰しますが、成績不振で戦力外通告によりチームを解雇。
1人でフランスにわたり、アマチュアから再出発してプロ復活。チーム「VC・BEAUVAIS」を経て、今度はレジェンド浅田顕さんのチーム「ブリヂストンアンカー」に参加しました。
その後もチームを変えながら、個人でフランスの国民体育大会で優勝したり、チーム優勝に貢献する一方で個人でも優勝するなど活躍。
2008年には北京オリンピック男子ロードレース日本代表に選ばれますが、86位で完走。世界の壁は厚いみたいです。
32才2010年、全日本選手権でついに優勝!
34才で世界最高カテゴリーのプロチーム「サクソバンク」に入り、日本人で初めて個人総合時間賞とスプリントポイント賞の栄誉に輝きました。
18年間におよぶ海外レース生活を経て36才2014年で引退し、現在は2015年から湘南のチーム「レモネード・ベルマーレ」の監督を務め、後進の育成、講演活動、チャリティー活動を行ってます。
●自転車プロロードレーサー宮澤崇史 母親との絆(画像)
宮澤崇史さんの母親は純子さんといい、自転車活動を懸命に支えました。
中学時代に宮澤崇史さんがプロ自転車選手を目指すと決めたとき、家は貧乏でお金がなかったですが、母親は同僚から新品のマウンテンバイクを借りてきてくれました。
そしていきなりマウンテンバイクの大会に息子を出場させます。周りは大人や経験者ばかりだし、宮澤崇史さんは初心者。ところが290名出場者のなか、レース初挑戦で27位!
その後、母親はマイ自転車を買い与え、いろいろな大会にする頃には母親が送迎を担当。
しかし自転車競技は高額な費用がかかります。タイヤやチェーンだけで年間6万円。年間20試合のレース参加費用もきついですが、母子の会話が嬉しかったのでした。
高校卒業後のイタリア留学費用も、母親が少ない給料から工面してます。息子の夢は母親の夢でもあったから。
■母親の病気と手術
宮澤崇史さんが20才で日本代表になり日本一まであつ少しのとき、2001秋に母親が病気で倒れました。病名は原発性硬化性胆管炎で、肝臓から出る胆管に炎症が発症し、肝硬変などを起こす難病で、しかも余命1~2年を宣告されました・・・
唯一母親を救う方法は配偶者や親族など近親者からの生体肝移植。肝臓の大きさ的に長女は難しいので、宮澤崇史さんがドナーになりました。
ドナーの肝臓は3分の1を提供しても2~3年で元の大きさに戻るので心配ないですが、手術で開腹する際、アスリートに大事な腹筋を切ったのでした。だから母親は息子の選手生命を絶ちたくないから手術を拒否しましたが、宮澤崇史さんが懇願して2001年9月11日に手術は行われ、手術は成功。
宮澤崇史さんは手術後わずか1か月でリハビリを開始しますが筋力低下とその影響による運動能力低下は想像以上で、2か月目から必死で1日100km以上ペダルをこぎました。
しかしチーム復帰するも成績不振で解雇され、経歴にあるように、フランスに単身渡りアマチュアからやり直して腹筋も毎日3時間鍛えなおしたのでした。すごい努力。
■母親との約束
移植手術から4年後、プロ復帰を果たし、2008年には北京五輪に出場。
移植手術から9年後。32才。宮澤崇史さんは日本ロードレース界の頂点を決める全日本選手権に出場を果たしました。
そして優勝し、日本一になるという母親との約束をついにかなえたのでした!
宮澤崇史さんは母親と抱き合って喜びました。
●自転車プロロードレーサー宮澤崇史 結婚した嫁と子供はいる?
宮澤崇史さんは2011年11月3日、33才で結婚してます。
嫁は花菜子さんという名前です。
子供の有無は不明です。
●自転車プロロードレーサー宮澤崇史 24時間テレビでドラマ化
自転車プロロードレーサー宮澤崇史さんは、24時間テレビ2019で実話ドラマ化が決定しました。
主演は、24時間テレビドラマ初主演となる、嵐の相葉雅紀さん。
脚本は「ごくせん」シリーズのほか「東京タラレバ娘」「花咲舞が黙ってない」「時代をつくった男 阿久悠物語」などの松田裕子さんなので、見ごたえありそう。
24時間テレビ2019実話ドラマでは、母親との親子の絆、仲間との絆、好きなもの(自転車)への情熱、ロードレースの疾走感などが描かれるそうで楽しみです。
放送日は8月24日(土)、時間は例年通りなら夜9時頃からです。
この記事へのコメントはありません。