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古関裕而の経歴を若い頃から晩年まで!嫁の金子と息子の現在は?

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朝ドラ「エール」モデル作曲家・古関裕而(こせき ゆうじ)さんの経歴を若い頃から晩年まで、また、嫁の金子さんと息子の現在について紹介します。

古関裕而さんの曲は、作曲者や曲名を知らなくてもどこかで聞いたことがある名曲ばかり。1964年(昭和39年)には東京オリンピックの入場行進曲も手掛け、戦後は平和を願い、曲作りに励みました。

若い頃にどうやって作曲家になった経緯や、晩年はどう過ごし死去されたのか?経歴を見ていくと、なぜ代表曲に応援歌が多いのかわかってきます。

古関裕而さんの家族は、嫁の金子さんも音楽をやってるし、息子も現在音楽をやってる音楽一家なんですよね。

●2020前期朝ドラ「エール」モデル 古関裕而(こせきゆうじ)代表曲

● 「琥珀の空」
● 「我ぞ覇者」
● 夏の高校野球大会歌「栄冠は君に輝く」
● 阪神タイガース球団歌「六甲おろし」
● 巨人軍の歌」
●「ドラゴンズの歌」
● 早大応援歌「紺碧の空」
● 196東京五輪の入場行進曲「オリンピックマーチ」
などの名曲を作曲。

5000曲を世に送り出したといわれる日本が誇る大作曲家。校歌もたくさん作っていて、福島県内109校と含め日本全国で350校以上の校歌を作曲しています。

古関裕而さんの曲は、校歌や応援歌が多いんです。

福島の古関裕而記念館では、古関裕而さんの曲が現在も歌い継がれています。

昭和54年には福島の最初の名誉市民に選ばれるなど、現在でも地元でフラッシュモブやるくらい愛されています。

朝ドラ「エール」のモデルとなった経緯は、福島商工会議所青年部などが5年前からドラマ化してもらうために、福島市・豊橋市と署名15万以上を集めてNHKに陳情した結果だそうです。

戦後の日本を音楽で元気づけ、1964東京五輪の入場行進曲を手掛けた古関裕而さん夫婦をモデルにした朝ドラが、2020東京五輪の開催される前に放送されるのはスゴイ。

それに、福島市は東京五輪聖火リレーの出発地で、五輪競技でも最初の開催地だったりと、復興五輪の象徴なのです。
 
 

 
 

●2020前期朝ドラ「エール」モデル 古関裕而(こせきゆうじ)経歴プロフィール(画像)

名前:古関 裕而(こせき ゆうじ)
本名:古関 勇治
生年月日:1909年8月11日
出身地:福島県福島市
年齢:享年80才(1989年8月18日死去)
職業:作曲家
結婚歴:1回。嫁は金子(きんこ)

古関裕而さんは作曲するとき、なんと楽器を使いません。
書斎には楽器がないので、本・五線譜・鉛筆だけでまるで作家の書斎。
頭で描いた曲を、五線譜に書いていく天才スタイル。

●古関裕而(こせきゆうじ)の経歴 若い頃(幼少期)

明治42年、日本が生糸輸出量世界一となり急速に近代化が進むなか、古関裕而さんは福島県福島市の老舗呉服店「喜多三」を営む金持ちの実家の生まれました。

老舗呉服店「喜多三」の後継者として育てられましが、周囲からはぼんやりして取り柄がない子供だと思わてました。

一方で音楽好きの父親・三郎次さんがなかなか手に入らない蓄音機を買ったことで、そこから流れる浪曲・民謡・吹奏楽を聴いて楽しんでると、母親・ヒサさんが小さなピアノを買ってくれました。

当時の福島は絹織物産業で潤う豊かな街で、絹製品の買い付けでたくさん外国人が訪れて、古関裕而さんは西洋の新しい音楽に触れていくことができました。

福島県師範学校附属小学校では、音楽好きな担任の遠藤喜美治先生が音楽指導に熱心なおかげで、古関裕而さんは10才で楽譜が読めるようになると、市販の妹尾楽譜を買って作曲に夢中になり、同級生たちから作曲をリクエストされるほどの人気に。

また、近所に住んでいた5才年上の作詞家・野村俊夫さんとは、のちに戦時中にコンビで作品を作っていくことにになります。(「暁に祈る」「シンガポール晴れの入城」「かちどき音頭」「嗚呼神風特別攻撃隊」など)

●古関裕而(こせきゆうじ)の経歴 若い頃(10代青春時代)

高校は旧制福島商業学校(現福島商業高校)に進学。いつもハーモニカを持ち歩いて勉強より作曲に夢中で、学校の弁論大会では書き溜めていた曲が初めて人前で演奏されるなど、独学で作曲の才能を開花させてゆきます。

一方で、昭和恐慌の大不況で呉服店が倒産・・・。しかし呉服屋を継ぎたくなかった古関裕而さんは内心ほっとしたのでした。

こうして音楽に没頭できる環境をゲット。高校卒業する頃には日本でも有数のハーモニカバンド「福島ハーモニカーソサエティー」に入団して作曲・編曲・指揮を担当。この頃、近代フランスうやロシアの音楽と衝撃の出会いを果たしています。

18才の時はラジオ好きだったのペンネーム「楽治雄(らじお)」を名乗り、高校の寄せ書きには『末(すえ)は音楽家だよ』と書いてました。

高校卒業後、川俣銀行(現東邦銀行川俣支店)に就職して働きながら、憧れの作曲家・山田耕筰さんと手紙のやりとりをしたり、仙台中央放送局(現NHK仙台放送局)の記念番組に出演したり、聖歌の作曲家・金須嘉之進さんに師事しています。
 
 

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●古関裕而(こせきゆうじ)の経歴 嫁・金子と結婚

昭和4年20才で快挙を成し遂げます。家族に内緒で応募したイギリスの作曲コンクールで、舞踊組曲「竹取物語」が2位入賞したのです。日本人の入賞は史上初で、新聞記事もになりこれが運命を変えることに!

この新聞記事を読んだのが、のちに結婚して嫁となる内山金子(きんこ)さん。

愛知県豊橋市の歌手志望の女学生だった内山金子さんは、古関裕而さんの才能に惚れてファンレターを送ったのがきっかけで、豊橋市から福島に押しかけて交際が始まり、わずか半年でスピード結婚。

昭和5年、古関裕而さんの年齢20才、嫁の金子さん18才での結婚でした。

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●古関裕而(こせきゆうじ)の経歴 日本コロンビアで作曲家デビュー

さらに日本コロンビアから声がかかり作曲家デビュー。上京すると夫婦には個性豊かな人々との出会いが待っていました。

一方、専属作曲家として契約しましたがそう簡単にヒット曲は生まれず。3年くらいは売れない不遇の時代がつづきました。

だから印税の前払いだった毎月200円のギャラも100円に値下げ。嫁は子供を妊娠中なのに生活が苦しくなりました。

契約解除になりそうでしたが、嫁の金子さんが「必ず恩返しします」と日本コロンビアに頭を下げて首の皮一枚繋がりました。

そんななかついに転機到来。

野球で慶応義塾大学に4連覇していた早稲田大学が、慶応の応援歌「若き血」に対抗できる応援歌を作ろうと、当時教授だった西條八十さんがまずは歌詞をえらびました。

しかし良い詩すぎるので大物作曲家に頼みたいが学生は払うギャラがない。そこで福島出身の歌手で古関裕而さんと交流関係のあった伊藤久男さんが、当時無名だが才能ある作曲家として古関裕而さんに白羽の矢をたててくれたのです。

そして早稲田大学の応援歌「琥珀の空」が完成。古関裕而さんは慶応を潰すなど考えず沸き上がったメロデイーで作曲しましたが、なんと早稲田は慶応に勝ちました!22才の頃でした。

これがきっかけで作曲依頼が殺到。

1935年(昭和10年)26才のとき「船頭可愛や」が大ヒット!嫁の金子さんが長女・雅子さんを出産した翌年のことでした。
 
 

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●古関裕而(こせきゆうじ)の経歴 戦争中は西條八十と名コンビで『戦時歌謡』

1937年(昭和12年)日中戦争が勃発。

新聞社が賞金1000円(現500万円)で軍歌の歌詞を募集し、25000通を超える応募の中から当選したのは、京都市役所に勤務していた薮内喜一郎さんの歌詞「露営の歌」でした。

当時、嫁・金子の兄を訪ねて満州で戦争を見た行った帰りの汽車で読んだ新聞に「露営の歌」が掲載されていたので、汽車の中で作曲したのは、軍歌なのに悲しいメロディーでしたがこれが採用され、古関メロディーに日本中にとどろくことになったのです。

こうして軍の要請で戦時歌謡を作曲することに。

1940年(昭和15年)には映画「暁に祈る」の主題歌を作曲。出兵する兵士やその家族が、この歌で別れを惜しみました。しかし自分が作った歌を歌って戦死していく若者の姿に心を痛めます。

1943年(昭和18年)太平洋戦争で日本は破れ戦況は悪化の一途をだどり、多くの若者が招集されました。

映画「決戦の大空へ」の制作にあたり古関裕而さん(33才)と作詞家の西條八十さん(51才)コンビは茨城県の土浦海軍航空隊に一日入隊して、若い練習生たちの生活を取材し「若鷲の歌」が生まれました。若者に対する応援歌です。

戦意高揚といより、家族の気持ちに寄り添った曲を数多く作りました。

●古関裕而(こせきゆうじ)の経歴 戦後

戦後、混乱の中でも復興に向かう日本では、力強いメロディーが花開きます。古関裕而さんと嫁・金子さんは、傷ついた人々の心を音楽の力で勇気づけようと新しい時代の音楽を奏でていきます。

1964年(昭和39年)には東京オリンピックの入場行進曲も手掛けました!

高校野球大会歌「栄冠は君に輝く」は現在も歌い継がれる名曲!

今度は劇作家の菊田一夫さんとのコンビで、ラジオドラマ、テレビドラマ、映画、演劇、ミュージカルでヒット作を連発。

1961年(昭和36年)にコンビで手がけた森光子さん主演舞台『放浪記』は、平成まで続くロングラン公演となっています。

ラジオドラマ『君の名は』はきっと、新海誠監督のヒット映画『君の名は。』のタイトルに影響を与えてると思います。

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●古関裕而(こせきゆうじ)の経歴 晩年

晩年は、1972年10月スタートのフジテレビ『オールスター家族対抗歌合戦』の審査員を1984年6月24日まで務めました。

1977年68才のとき夏の甲子園の開会式に招待されると、母校が甲子園で初勝利する奇跡が起きて、自分が作った校歌を生で聴いたのでた。

1988年11月12日、脳梗塞で入院中、出身地に「福島市古関裕而記念館」が建ちました。

1989年(平成元年)8月18日、聖マリアンナ医科大学病院で死去・・・死因は脳梗塞でした。葬儀は盛大な音楽葬となり、早稲田と慶応の両大学の応援団が応援歌を浮くってくれました。

2009年は生誕100年記念。JR福島駅の発車メロディに古関裕而さん作曲の「高原列車は行く」「栄冠は君に輝く」が採用され、福島駅東口駅前広場にはオルガンを弾く姿をデザインしたモニュメントが建てられました。

●古関裕而(こせきゆうじ)の家族 嫁・金子の現在は?

嫁・内山金子(きんこ)さんは、明治45年愛知県豊橋市生まれ、旦那の古関裕而さんより2才年下。

高等女学校に進学し、声楽家を夢見た少女でした。

イギリスのコンクールで2位入賞した古関裕而さんの新聞記事を見て、その才能に惚れてファンレターを送り、4か月の文通で恋愛し、豊橋市で会うと、そのまま福島に行って、結果わずか半年でスピード結婚したのでした。

昭和5年、古関裕而さんの年齢20才、嫁の金子さん18才での結婚でした。

秋に古関裕而さんが日本コロンビアに声をかけられ、契約して翌年1936年(昭和6年)に夫婦で上京。

世田谷区代田の自宅で暮らしました。

昭和7年20才の頃1月に長女・雅子さんを出産。
昭和9年22才の頃7月に次女・紀子(みちこ)さんを出産。

その後、帝国音楽学校に入学して声楽に励んだ嫁・金子さんでしたが、戦後昭和21年34才の頃に長男・正裕さんを出産してからは子育てに専念するため音楽の道は辞めています。でも音楽好きだから家では毎日歌っていました。

晩年は1980年7月23日に病気で死去。享年68才。死因は乳がんの全身転移でした。旦那の古関裕而さんより先に亡くなっているんですね・・・。

●古関裕而(こせきゆうじ)の家族 息子の現在は?

息子・古関正裕さんは、1946年(昭和21年)に戦後の東京で生まれました。

高校と大学のときは、カントリーバンドや、グループサウンズ「ヴィレッジシンガーズ」でキーボードを弾き、財団MRAのシングアウト活動「let’s Go」のミュージカルディレクターも務めました。

大学卒業後、日本経済新聞社に就職し、データベース、オンライン情報サービスなどシステム開発の仕事に関わりました。

新聞社を早期退職後、青山で輸入婦人服のセレクト・ショップ「ブティック・ラフィーナ」を経営しながら、2008年に小説「緋色のラプソディー」を出版したりと、多岐にわたって活動。

また、若い頃のバンド活動を活かして2013年に音楽ユニット『喜多三』を結成。父の楽曲をメインに歌とトークのライブ活動を行っています。

プライベートでは息子・古関正裕さんは現在、結婚して子供もいるようです。

●まとめ

朝ドラ「エール」モデルの作曲家・古関裕而(こせきゆうじ)さんの代表曲と経歴を紹介しました。

嫁・金子さんと古関裕而さんは現在すでに亡くなっていますが、息子の古関正裕さんは音楽活動もしているので、やっぱり音楽好き一家なんですね。

朝ドラ「エール」では主人公の幼少期から、夫婦が戦争という苦難を乗り越え、日本中を明るく励ます応援歌を作っていく姿が描かるようです。

代表曲が生まれるエピソードには、生涯の出会いやドラマチックな秘話があると思うので楽しみです。

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