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2019年9月7日(土)放送「激レアさんを連れてきた。」に、冨永照子さんが出演しますがWikipediaがないので、経歴をwikiりました。老舗そば店「十和田」の女将の、浅草を復活させた伝説がスゴイです。
冨永照子さんは23才で結婚し、30才で「浅草おかみさん会」を設立して、ゴーストタウン一歩シャッター街だった浅草を日本有数の観光地にした伝説の女将。
浅草にそんな歴史があるなんて知らなかったし、観光案内図や2階建てバス、浅草サンバカーニバル、ニューオリンズ・ジャズ・フェスティバルなどが、女将の成し遂げた伝説だと知ってびっくりです。
目次
●冨永照子 プロフィール(画像)
名前:富永 照子(とみなが てるこ)
生年月日:昭和12年1月3日(1937年)
出身地:東京浅草生まれ
年齢:82才(2019年9月現在)
高校:上野学園高校
ブログ:https://okamisanka.exblog.jp/
職業:
● 浅草仲見世の老舗手打ちそば『十和田』四代目女将
● NPO法人『全国商店街おかみさん会』理事長
● 一般社団法人『ニッポンおかみさん会』代表
富永照子さんは浅草仲見世に生まれた江戸っ子。
昭和35年(1960年)23才、浅草のお菓子屋『菊水堂』に嫁入り。
現在は老舗手打ちそば『十和田』四代目女将をしながら、NPO法人『全国商店街おかみさん会』理事長も務めています。
■老舗手打ちそば『十和田』の場所
東京都台東区浅草1-33-5
浅草で十和田そば♪
そばはもちろん、暮坪かぶがとても合うのではまってます(*´ω`*) pic.twitter.com/BfSz7umaef
— 七夜の願い星@お気楽貴族 (@osiagekagekidan) August 4, 2019
●冨永照子の伝説がスゴイ!『浅草おかみさん会』とは?
■冨永照子の伝説がスゴイ
● 浅草の観光案内図を作った
● 日本初の2階建てバスを走らせた
● 浅草サンバカーニバル
● 浅草ニューオリンズ・ジャズ・フェスティバル
● 浅草観光振袖学院を設立
冨永照子さんが23才で浅草のお菓子屋『菊水堂』に嫁入りした昭和35年(1960年)当時、浅草は映画館で栄えていた街でした。
しかし昭和39年(1964年)東京オリンピック以来、街が衰退してゴーストタウン化。松竹映画はテレビに押されて衰退し、商店街は「1時間に5人と犬一匹」という非常に寂しいシャッター通りになりました。
そこで昭和42年(1967年)30才で、子供たち次の世代のために共同組合『浅草おかみさん会』を作りましたが、旦那たちからは「女のくせに生意気だ」「おかみさん会なんてろくなものじゃない。あんな会に女房はいれちゃダメ」と猛反発を受けました。今なら男尊女卑だと大炎上です。
でも冨永照子さんは諦めませんでした。地位も名誉も何もないからダメでもともとで頑張りました。ダイエー中内社長、浅草出身イトーヨーカドー伊藤社長、ホテルニューオータニ大谷社長ら強い味方も作っていきました。
最初は、観光案内図が何もなかったので作ったら取材を受け、まちおこしの手ごたえを感じました。
子育てのために、認可保育園「ひまわり保育園」を作りました。
浅草6区の再開発事業は商店街に必要な人混みを考えてくれなかったので、浅草出身のホテルニューオータニ大谷社長に相談して、『ROX』というビルを建ててもらいました。
設計事務所からのアドバイスを受けてニューヨークのニューオリンズ見に行って「これだ!」と浅草ニューオリンズジャズフェスティバルをやることにしました。
日本初の2階建てバスは、高さで許可が下りなかったのですが、運輸大臣に直談判したら一発OK。
浅草サンバカーニバルは最初は阿波おどりをやる案でしたが、コメディアンの伴淳三郎さんが「阿波踊りなんて古い。リオ・カーニバルがいい」とつっこんでくれたおかげ。
大衆芸能の必要性を欽ちゃんに相談したら「欽ちゃん劇団」を作ってくれて、毎日上演用のショー&ビアレストラン「ロックン・ロック」をダイエー中内社長が作ってくれました。
お座敷に振袖さんをと、浅草観光振袖学院を設立しました。
冨永照子さんは、街には好奇心をそそるものがないといけないという信念で、大衆芸能の街・浅草を作るのが最後の仕事だと思ってるそうです。
●冨永照子 『ニッポンおかみさん会』
冨永照子さんは平成5年(1993年)56才のとき「全国おかみさんサミット」を東京で開催(430名参加)し、第1回目フォーラムでは、ダイエーの中内社長、テレビ東京の中川社長、デザイナーのコシノジュンコさんがパネラーを務め、多くの著名人に応援されています。
現在も女性社長や個人が会員の『ニッポンおかみさん会』の活動として毎年全国各地でおかみさんサミットを開催、『勇気 やる気 元気』をスローガンに、まちづくり・まちおこしに精力的に活動を続けています。
設立目的、事業内容
「共生・共働・共創」をスローガンとし、相互扶助の精神に基づき、協働した事業展開による新たなビジネスの創出、事業の担い手となるリーダーの育成、および全国ネットワークの構築等を通じて、日本各地に誇りあるふるさと(自分達のまち、むら)を創生し、次世代に継承していくことを目的として、次の事業を行う。
1・全国各地のふるさと産品の開発と販売
2・コンパクトシティの実現にむけた事業
3・女性・若者・子ども・障害者にやさしいまちづくりにかかる事業
4・個店の創業支援ならびに個性ある地域商店街の創出と継続にかかる事業
5・リーダー育成にかかる事業
6・全国各地の会員の資質向上、情報交換を目的とした交流会や研修会の開催
7・行政、自治体、地域、住民との連携に向けた事業
8・日本の伝統文化の継承にかかる事業
9・各種イベントの企画、制作、運営及び運営代行
10・その他、当法人の目的達成に必要となる事業引用:https://www.nipponokamisankai.net/
冨永照子さんの本『おかみさんの経済学―女のアイデアが不景気をチャンスに変える!』には、人を動かすリーダー術、後継者の育成、リスクの背負い方などが書いてあります。
なんと小学校3~4年の教科書のサブ本『わたしたちの東京』にも、伝統を受け継ぎ活動する人々として掲載されています!
●冨永照子まとめ
冨永照子さんは浅草をゴーストタウンから復活させた伝説のおかみです。
『浅草おかみさん会』を立ち上げた30才から82才の現在も活動を続けてるので、まさに生きた伝説といえます。
「大衆芸能の街・浅草を作るのが最後の仕事」だという冨永照子さん。浅草から目が離せません。
そば店「十和田」にも行ってみたくなります。
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