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【数学者】岡潔が愛した家族「嫁の岡みちと子供たち」1人じゃ天才になれなかった

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天才数学者・岡潔さんは、多変数複素関数論の研究で人間離れした成果を出した伝説の人。世界の数学者たちが誰も解けなかったドイツのベンケ教授の出した多変数函数論の3つの問題を解いて世界を驚かせました。

そんな天才科学者・岡潔さんの出生から文化勲章を受章して死去するまでの経歴プロフィール(画像あり)と、岡潔さんが愛した家族、嫁の岡みちさんと子供たちを紹介します。岡潔さんが天才に呼ばれるには、嫁と子供たち家族の支えがなければ叶わなかったと思います。

2018年2月23日には嫁の岡みちさんを主人公にしたドラマ「天才を育てた女房」が放送されます。岡潔さんの子供たちもきっと楽しみにしてるでしょう。
 
 

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●天才数学者・岡潔 経歴プロフィール(画像)


画像引用:.wikipedia.

名前:岡 潔(おか きよし)
出身地:大阪府大阪市生まれ・和歌山県紀見村育ち
生年月日:1901年(明治34年)4月19日
年齢:76才没

嫁:岡みち
子供:3人

岡潔さんは、寛治さんと八重さんという両親のもと、1901年(明治34年)4月19日に大阪市中央区島町で生まれ、すぐに父親の故郷・和歌山県紀見村に家族で引っ越しました。

■数学にハマったきっかけ

和歌山県立粉河中学校3年生のとき、岡潔さんは偶然、父親の書籍にあった数学者クリフォードの「数理釈義」を読んで夢中になり、毎日のように画用紙と定規とコンパスを用いて自分で定理を検証したそう。

高校は第三高校の理科甲類へ。

■京都大学時代

岡潔さんは京都大学の理学部へ入学。
数学の試験で難問の証明法を発見すると「わかった!」と叫んで周りを驚かせ、残りの試験を放り出して教室を出ていき、公園のベンチに寝そべって問題を解いた感動の余韻に浸ったそう。

この頃から天才ゆえの奇行が目立ち始めました。路地にしゃがみこんで一心不乱に地面に図形を描く姿を後輩が目撃しています。

■フランス留学で多変数複素函数論と出会う

卒業後、24才で京都大学理学部の講師となった岡潔さんは、嫁のみちさんと結婚。

28才で助教授になるとはフランスのソルボンヌ大学に3年間の留学へ。

3年間のフランス留学では論文も書かず、表面上は特に成果はありませんでした。

しかし岡潔さんは1日1食のストイックすぎるスタイルで生涯の研究テーマを探した結果「多変数複素函数論」に出会ったのでした。

■事件を起こして無職に

岡潔さんは31才で帰国し、広島文理科大学の助教授に。「多変数複素解析関数論」に取り組みました。

それから4年後の35才のとき京大教授の歓迎会に参加すると、精神病を患って行方不明になり、近所の中学生を襲って帽子や靴を奪い逮捕され、新聞で大きく報じられました。

当時「クザンの第二問題」の論文で数学のやりすぎで神経衰弱したのが病気の原因と診断されました。

精神病による事件のせいで岡潔さんは助教授を37才で休職し、最終的に39才で辞職を余儀なくされ、無職に。

■田舎に引きもった無職13年間

岡潔さんは故郷・紀見村に戻り、数学者として13年間、研究に打ち込むことになります。机のまえに正座して音もなく勉強。一方、無職2年目の40才で3人目の子供さおりさんが生まれてます。

13年間の間、岡潔さんは何度か精神バランスを崩して入院や療養をし、生活も苦しくなります。嫁みちさんもしょっちゅう胃が痛いと言っていたそう。

家族を養うため田畑や財産を売ったり、奨学金をもらって生計をたてました。家すら手放すと村人の好意で物置に住まわせてもらいました。

でも世間から隔離された世界は、岡潔さんにとっては独創的な発見をしやすい環境でした。おかげで41才までに三つの大問題を解決することができました。不定域イデアルの理論を開発して、内分岐域において解決。それが出来たのは嫁と子供たち家族、友人たちの支えがあったからこそでした。

■59才で文化勲章

苦しい13年間を経て、48才で奈良女子大学理家政学部教授に就任し、晩年まで奈良市高畑町に住みました。

岡潔さんの研究成果(論文)は難しすぎて理解する日本人は少なかったですが、世界で評価が高まり国内で認知度が上がっていきました。

フランス語で論文を発表していったが、ヨーロッパの数学者たちはその独創性に驚き「オカ・キヨシ」を日本の若い数学者の集団でないかと疑ったほどだった。専門家でも難解な論文で、一般人にはほとんど理解不可能な内容。だから業績のわりに有名にならなかったんです。

数学の神様ジーゲルはわざわざ奈良まで岡潔さんに会いにきて感激のあまり「オー、オカ・・・」と言って抱きついたとか。

1960年、59才で文化勲章を受章。

画像引用:http://www.lib.nara-wu.ac.jp/

1978年3月1日76才で岡潔さんは亡くなり、5月26日には旦那の後を追うように嫁のみちさんも急死したのでした。
 
 

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●天才数学者・岡潔の家族(両親、嫁の岡みちと子供たち)


岡潔さんの家族を紹介します。

画像引用:http://www.lib.nara-wu.ac.jp/oka/fram/koto.html

■両親

● 父親:岡寛治
● 母親:岡八重
父親の岡寛治さんは、息子に期待していて金銭的な援助を惜しみませんでした。

■嫁

● 嫁:岡みち
旧姓:小山みち
出身地:大阪府河内柏原
結婚:25才のとき
旦那:岡潔
子供:3人(長男・長女・次女)
没:1978年5月26日

嫁の名前は岡みちさんで、ドラマ「天才を育てた女房」の主人公モデルです。

1924年(大正13年)の夏、小山みちさんは大阪の日本橋で変な京大生・岡潔さんに出会い、岡潔さんが講師になりたて24才のときに結婚。子供も授かりますが旦那は数学にしか興味がありませんが、その純粋さを理解し信じてともに苦難を乗り越えていきました。

■子供たち

子供たちの家は岡潔さんの「家族はひとつ屋根の下に固まって暮らすべきだ」という考えから、同じ地域に密接して建てられました。

● 長女:岡すがね
 旦那の鯨岡寧(くじらおか やすし)さんは脳外科医。

● 長男:岡煕哉(ひろや)
 鉄工所に勤めていましたが、定年退職後は家庭菜園などして世間のわずらわしさを離れて穏やかに暮らしています。

● 次女:松原さおり
 岡潔さんが40才の時に生まれ「おりちゅん」の愛称で呼ばれましたが、数学はあまり好きじゃなかったそう。旦那は松原勝昭(かつあき)さんといい、奈良市内の高校で地質学の先生をしてましたが、1999年に定年を迎えています。

■孫

● 4番目の孫:松原始(まつばら はじめ)
 松原さおりの子供(岡潔の孫)です。岡潔さんが死去する8才まで同居してました。「カラスの教科書」を執筆するなどカラスの研究者で、大学の卒論のカラスがテーマでした。

■子供たちへの名言

岡潔さんは子供たちによくこう言っていたそうです。

「何かやりたいこと、成したいことがあったら、一生それを思い続けなさい。一生思い続けて駄目だったら、二生目も、三生目も思い続けなさい。そうすれば、やがて実る」

説得力ありますね。

●天才数学者・岡潔 ドラマが楽しみ


ドラマ「天才を育てた女房」は、よくある偉人伝にとどまらず、エンターテインメントばドラマに仕上がってるそうで楽しみです。

実話をもとにストーリーを再構成し、岡潔さんの偉業を称えつつ、嫁のみちさんに脚光を当てる感動物語に期待!
 
 

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