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次期総理になるかもしれない菅義偉さんの生い立ちについて紹介します。
国会議員は安倍首相も含め世襲制が多いですが、菅義偉さんは違います。
秋田の実家はイチゴ農家と教師でしたが、菅義偉さんはどっちの進路も嫌で親に反発して家出同然で東京へ!
東京で現実の厳しさを知り、大学の空手部で礼儀を学んだ生い立ちでした。
目次
●菅義偉の生い立ち 実家は超田舎
菅義偉さんは1948年〈昭和23年〉12月6日生まれ。実家は、秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現在の湯沢市秋ノ宮)中央部旧国道沿い。秋田の山々をいくつも超えた先にある、大自然に囲まれた超田舎にある農家です。
家族構成は6人家族!
● 父親:菅和三郎
● 母親:タツ
● 長男:菅義偉
● 姉2人
● 弟1人
●菅義偉の生い立ち 父親はイチゴ農家!母親は元教師!
■父親はイチゴ農家
父親は楽しい性格の人でした。
戦前、父親の職業は満州鉄道の職員で待遇に恵まれ、官舎があり、お手伝いさんもいる、幸せな家庭を築いてました。姉2人は満州で生まれています。
しかし1945年8月、日本が敗戦すると一変し、命からがら満州から引き揚げて帰国。その3年後に菅義偉さんは生まれてます。
父親は故郷・秋田県の秋ノ宮で農家を始めますが「これからは米だけでは食べていけない」という理由で、イチゴ栽培を始め、『秋の宮いちご』ブランド化して成功してます!ビジネスの才能がある鉄道職員だったんですね!
『秋の宮いちご』は全国的にも有名になり、イチゴの生産組合を設立して独自の生産・出荷・販売ルートを構築!父親は地域に信頼され、町会議員も務め、2010年に93歳で死去しています。
■母親は元教師
菅義偉さんの家族や親族は教師が多いです。
母親タツさんは元教師で楽しくて優しい人。叔父と叔母も元教師で、姉2人も高校教師になってます。
ですが菅義偉さんは『イチゴ農家』と『教師』どっちも嫌でした。だからといってなりたい職業もなく。
●菅義偉の生い立ち 小学校・中学校・高校の学歴
秋田の少年時代、菅義偉さんの実家は比較的裕福だったので、月刊漫画『冒険王』を買ってもらって、読みたくて順番待ちする近隣の子供たちに、先に読ませ自分はあとでゆっくり読んでました。
■小学校
1964年4月、地元の雄勝町立秋ノ宮小学校に入学。
足が速くてスポーツ万能で、陸上・ミニバスケ・ソフトボール・相撲の地区大会や郡大会で活躍しました。渓流釣りも好きで、近所で有名な釣り名人でした。
■中学校
地元の雄勝町立秋ノ宮中学校に進学。
野球が好きで軟式野球部に所属し、ポジションは俊足巧打の1番サード。出塁率4割近い機敏なトップバッターでした。
バットを投げ出すような独特な打撃フォームのため、先生から直すよう言われましたが「こっちのほうが振りやすいから」と直さなかったし、結果を出してるから先生もそれ以上は言いませんでした。
■高校
中学卒業後、同級生120人は、半分が東京に集団就職し、残りの半分30人は農家を継いだので、高校に進学したのは30人だけ。
そうして菅義偉さんは秋田県立湯沢高校に進学。地元から遠く、バス電車50分・徒歩30分で片道1時間半もかけて通学。そのため部活は諦めて帰宅部になり、家業の農作業をしました。
成績は文武両道で、ガリ勉じゃないけど勉強のコツをつかむのが上手で、3年生のときは進学組に所属しました。
●菅義偉の生い立ち 大学の学歴は?空手の画像あり
1967年、高校卒業後は集団就職で上京しました。
教師を目指して北海道教育大学を受けたが落ちたため上京したという報道は間違いで、教師だけはなりたくない、農家も継ぎたくないから、東京に行けばいいことあるんじゃないかと淡い希望を抱き、家出同然で上京しました。
集団就職した板橋区のダンボール工場で働くとすぐに現実の厳しさに気付き、やっぱり大学に行こうと、数カ月で辞めます。一番思い出したくない青春の1ページとなりました。
まず入学金を貯めるためバイトに明け暮れます。朝は築地市場で台車運、夜は新宿の飲食店で皿洗い、合間や夜に受験勉強という生活を2年間。
1969年4月、法政大学法学部政治学科に入学。法学部を選んだのは政治家志望ではなく学費が一番安かったからだけ。
入学後も学費は全てバイトで稼ぎました。ガードマン、新聞社のパシリ、食堂のカレー盛りつけ係、毎日アルバイト。
そんなバイトに追われながらも、唯一打ち込んだのが空手部での空手!忙しいのに三段の段位を取得します。
菅義偉官房長官
学生時代は硬派武闘派だった!?
法政大学剛柔流空手道部出身!!#菅義偉 #菅官房長官 https://t.co/q6VawOqEK7 pic.twitter.com/EOJ4Kl4bES— 神州清潔の民 (@karayan13z) September 2, 2020
「自分を厳しい状況におきたかった。
空手からは礼節や先輩、後輩の序列を学びました。
そして我慢することを覚えた。
練習はすごく厳しかったが、どんなにきついことも時間が来れば終わるということを知りました。
アルバイトばかりの大学生活でしたが、人生修業はやった気がします」(菅氏)
引用:FLASH
空手をやったことで、礼儀を覚え、自分に厳しい人間になれたみたいです。
( ̄▽ ̄) 菅さん「耐える力や平常心は空手で鍛えた」素晴らしい🥋
空手部だったんですね。
んで苦労人やったんや🤔
ハイ、次の総理に決定‼️笑#菅官房長官 #菅義偉 #空手部 #築地 pic.twitter.com/x4e9m0K7Wl
— SHINGO (@shibucho45) September 1, 2020
●まとめ
菅義偉さんの生い立ちを紹介しました!
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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