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2013年の紅白歌合戦でトリを務め、2016年紅白にも出場し「ごめんね」を披露して歌手の高橋真梨子さん。
2013年紅白は29年ぶり3度目でトリを務めるという異例中の異例。
年齢を感じさせないすごい歌声で、評価も高い。
しかしテレビに映る、激やせした姿に驚いた人も多かったです。老けたように見えた人もいたみたいで。
実は高橋真梨子さんは病気で激やせしていました。
そんな彼女を支えたのはバンドマスターで旦那のヘンリー広瀬さんでした。
47才で重い更年期障害という病気で激やせし、夫と一緒に乗り越えてきたのです。
高橋真梨子さんの両親はすでに亡くなっています。
父親は被爆による病気で両足を切断し、高橋真梨子さんが10代の時に死去されました。
母親はそんな父親の世話に耐えきれず不倫をして、娘とは確執が生まれました。
戦後の広島で生まれ、壮絶な生い立ち。
目次
● 高橋真梨子 父親と母親 壮絶な生い立ち
1949年3月6日 戦後の広島
高橋真梨子さんは1人娘として生まれ、1才のときに家族でジャズが盛んな博多に引っ越します。
両親は原爆で被爆していました。
■父親が病気で両足を切断
大好きな父親はジャズのサックス奏者で、家で色々な楽器を演奏していました。
しかし数年後、被爆の病気で父親は両足を切断・・・。
父親は激しい痛みで毎日苦しみました。
母親は父親の痛み止めのモルヒネを買うために水商売で働きます。
苦しむ父親と、疲れた母親は、毎日ケンカするようになりました。
■両親が別居~母親の不倫
高橋真梨子さんが5才のとき、両親は別居。
「これ以上迷惑はかけられない」と父親が広島に帰ったからです。
そして母親は、妻子ある男性と不倫関係に・・・。
しかし不倫相手は母親にDVをしていました。
高橋真梨子さんは、不倫相手に母を独占されいつもひとりぼっち。
母親とは喧嘩をして、確執が生まれてきました。
■両親が離婚
10才のとき、両親が離婚し、両足のない父親は娘を引き取ることもできませんでした。
そんななか孤独な彼女の救いは音楽でした。
小学校時代はコーラス部で、歌は評判は高かった。
父親も両足はなくても広島のライブハウスでサックスを演奏して、父娘は音楽でつながっていました。
■歌手を目指す
中学生のとき、ザ・ピーナッツに憧れていた彼女は、父親に「歌手になりたい」と告げます。
父親が大好きだったので、年に数回は広島に行き会っていました。
歌手の夢に賛成してくれましたが
「ポップスとかアイドル的な歌手は、僕は望まない。歌うなら、難しい曲…スタンダードジャズとか、名曲みたいなものから始めた方がいい」
とアドバイスされ、14才からジャズを学びました。
これが高橋真梨子さんの歌の原点となっています。
■父親の死~東京へ
15才のとき、被爆の病気で苦しんだ父親は37才の若さで死去・・。
16才のとき、高橋真梨子さんの歌は、博多で評判となっていて、音楽事務所からスカウトがあり、歌手を目指して上京します。
東京には行きたくなかったのですが、母親から邪魔者扱いされている気もしていたので、上京することに。
しかしアイドル養成されることになり、高橋真梨子さんの性格にあいませんでした。
ダンス・演技・八重歯の矯正など、歌に関係ないので、事務所と意見があわず、3年に博多に戻りました。
下積みが必要なことは理解していたものの、目指すのはアイドルではなく本物の歌手だったから。
■歌手デビュー
博多で再び歌い始めましたが、また東京からしつこくオファーが。
仕方なく1年間の約束で、14才のときに博多で共演していたペドロ&カプリシャスにボーカル加入。
そしてリリースした「ジョニィへの伝言」が大ヒットして、なんと紅白初出場も果たしました。
1年間限定のつもりが、髙橋真梨子の名前と歌が、全国に知れ渡る結果に!
結局5年間ペドロ&カプリシャスに在籍し、音楽性の違いが表面化したところで人気絶頂時にバンドを脱退。
ソロデビューして、自分の歌の世界を模索していきました。
● 高橋真梨子 病気で激やせ 旦那(夫)が支えた更年期障害
高橋真梨子さんが歌ってて斜め後ろでヘンリー広瀬さんがキーボード弾いてるのなんかいいよね… pic.twitter.com/CdxNv2NiSH
— 煉泉 (@renizumi) 2016年12月31日
47才のとき高橋真梨子さんは病気で激やせ。
激しい疲労、手足のしびれ、耳鳴りが彼女を突然襲いました。
病気は、重度の更年期障害でした。
どんどん痩せて激やせし、食事もとれなくなり、うつにもなりました。
ある日、コンサート中に声が出なくなってしまいます。
トイレも1人で行けず、心も体もボロボロに。
夫のヘンリー広瀬さんは、食事や家事を懸命にこなして支えました。
毎日部屋に閉じこもる高橋真梨子さん。
旦那のヘンリー広瀬さんは何とかしようと、ある日自転車を買ってきて、強引に外に連れ出し、自転車に乗せたりしいました。
そのとき高橋真梨子さんの目に涙が。
それは、夫に料理を作ってあげられないのがつらい涙でした。
数か月後、旦那のサポートによってやっとステージに立てるようになった頃、母親に癌が見つかり余命1ヶ月の宣告jが。
子供の頃は、不倫していた母親を許せず確執がありましたが、大人になった現在は母親の気持ちがわかり和解していました。
大晦日に母親は死去・・・2か月に高橋真梨子さんがステージで歌ったのは「フレンズ」
母親が一番好きな曲でした。
● 高橋真梨子の旦那(夫)ヘンリー広瀬
↓ヘンリー広瀬さんの画像(右)
カッコイイおじいちゃん ヘンリー広瀬… pic.twitter.com/yPqyIPj8F9
— mariko (@mariko0002) 2016年12月31日
高橋真梨子さんが旦那(夫)ヘンリー広瀬と出会ったのは、ペドロ&カプリシャスにボーカル加入した時です。
最初はお互い恋愛対象ではなく、音楽的な趣味があうだけの、仕事仲間でしかありませんでした。
それから5年後、ペドロ&カプリシャスから脱退するときは、2人一緒に脱退。
高橋真梨子さんの歌の世界を作っていくよきパートナーとなりました。
1993年に結婚もして、バックバンドのリーダー兼プロデューサーとして、公私ともに支えてくれる存在に。
2人はいまも、周りが照れてしまうくらい、ラブラブです。
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