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成田緑夢さんといえば、熱血指導の父親のもと兄の成田童夢(どうむ)さんと姉の今井メロさんとの「成田3兄弟」で有名で、スノーボードで五輪を目指してました。
しかし五輪まであと一歩のとき事故で左足が麻痺する障害者となりました。入院後の画像は事故のすさまじさを物語ってます。
義足ではないので、成田緑夢さんは見た目は普通に歩けるように見えますが、左足を切断しなかっただけで重度の麻痺の障害者です。歩けるように見えても、左足の膝から下は棒のように感覚がない。。。
切断しなかったのは父親のおかげでした。事故から復帰できたのも父親がきっかけで、スポーツする意味にも目覚め、平昌パラリンピックで金メダル!現在は前人未踏のパラリンピクと五輪両方出場を目指してます。
目次
●成田緑夢(ぐりむ) プロフィール(画像)3兄弟の末っ子!
#新しいプロフィール画像 pic.twitter.com/Cyfo7rXtZ7
— 成田 緑夢 (@gurimunarita) October 12, 2017
名前:成田緑夢(ぐりむ)
生年月日:1994年2月1日
年齢:現在25才
身長・体重:173cm・63kg
出身地:大阪市住之江区
所属:フリー
成田緑夢さんは父親が熱血指導で有名なスノーボードコーチ成田隆史さん、兄の成田童夢(どうむ)さんと姉の今井メロさんは2人とも2006トリノオリンピック出場しています。
●兄の成田童夢(どうむ)さん
今日は妹(メロ)とドライブデートです(*`・ω・´)
芸能人の歯みたいに白く輝く位の洗車をしたい← pic.twitter.com/doepcG4y1i
— 成田童夢(CVなりたどうむ)@次元指揮者 (@narita_dome) May 30, 2019
●姉の今井メロさん
ふんっ。いちご大福ねずみ
今朝Twitter開いたら気分を害するDMがきていた!いちご大福ねずみはおこです! pic.twitter.com/jn65PJTgUC— 今井メロ (@mero1026imai) February 11, 2019
「五輪を目指す成田3兄弟」の末っ子の成田緑夢さんは、兄と姉を真似する観察力に優れ、世界最年少1才で挑戦1か月でスノードボードを習得。2才でウェイクボードを始めると、あっという間にマスターして2才で琵琶湖横断を達成。4才では1998長野オリンピックのエキシビジョンで登場。
小学校時代にスノーボードの国際大会のジュニア部門で優勝!
スノーボードの空中姿勢を感覚を磨くため、大阪市の実家の屋上にあるトランポリンも始めると、高校2年の2010全国大会で優勝!しかも点数が16.3で、北京五輪金メダリストの16.2を超えた歴代最高得点で最高難度の快挙!
2012ロンドン五輪では日本代表最終選考まで残りました。五輪まであと少し!
2012年11月からフリースタイルスキーとハーフパイプを始めるとすぐ日本代表に選ばれ、翌春に初出場の世界ジュニア大会でハーフパイプで優勝!五輪出場に手が届きそうでした。
●成田緑夢(ぐりむ) どんな事故で足を怪我した?
五輪を目指してスキー世界ジュニア大会優勝を果たした1か月後、事故で左足の障害者になる大怪我を負ってしまいます。
両足首に2.5kgずつの重り(スキーの板の重さを想定)を付けて、トランポリンで2回転宙返りで5mジャンプを毎日300回練習していたとき事故は起こりました。
飛んだ瞬間に左足が滑って体制を崩し、背中から着地しようとしたが重りのせいで失敗。前屈の体勢で落下してしまいました。
左肩が左膝に強く当たってバキッ!と音とともに、左膝は逆方向に曲がり、左足は「前十字靱帯を断裂」「後十字靱帯の断裂」「半月板の損傷」「動脈も破裂して内出血」という大怪我を負う大事故でした。
入院時の画像です。はたくさんの管につながれ、激痛が続きながら身動きができない苦しい状態。
https://www.instagram.com/p/BX3cYbnlTTd/?utm_source=ig_web_copy_link
●成田緑夢(ぐりむ) 足の障碍者だけど歩ける?
成田緑夢さんは両親に「リアルな症状を教えないで」と頼みました。現実を知るのが恐かったんだと思います。「少し脱臼して少し骨が折れただけ」と自分に言い聞かせました。
と自分に言い聞かせていました
■足を切断の危機
しかしリアルな症状は深刻で、医師は両親に「歩けるようになる可能性は20%」「切断の可能性もある」と告知しましたが、父親は「足は切らないでほしい」と医師に懇願したので切断は免れました。
■障害者になった
半年の入院で4回も手術をして治療。しかし左ひざから下の感覚を失う「腓骨神経麻痺」の障害が残りました。
「腓骨神経麻痺」は障害者6級に認定される重い障害で、シビレや感覚が鈍くなる「感覚障害」と、足が動かない「運動障害」を引き起こします。
退院後も普通に歩ける状態ではなく、左足を引きずって30分歩いたら、30分は氷水で冷やさないと腫れも痛みも引かない状態でした。
■歩けるように見えるが
成田緑夢さんは足を切断せず義足ではないので、見た目は健常者と同じで、歩けるように見えます。
しかし実際は、左足の膝から下は感覚がなく、棒が刺さってるような状態。
歩けるし、走ることもできますが、動かない左足をカバーしながらです。
●成田緑夢(ぐりむ) パラリンピックで金メダル!
■スポーツする意味
退院して半年たたないうちに父親から無理やり連れていかれ、痛みに耐えながらスキーやウェイクボードを再開すると、障害者からのSNSメッセージが届きました。
「けがをしても、頑張っている緑夢君に勇気をもらった」
成田家の子供は生まれた時から五輪を目指すのが当たり前だったので、スポーツする意味を考えたことはありませんでした。しかしこの時初めて「自分がスポーツをすることで、誰かを励ませるかもしれない」と意味を考えるようになったのでした。
■パラリンピックで金!
成田緑夢さんはこうしてパラリンピックを目指しました。左足の痛みは消えてないです。
最初は陸上の走り高跳びに挑戦しましたが成績不足でリオに間に合わず、スノーボードを開始。
初出場のワールドカップは3位に大きく差をつけられて4位。障害者たちのレベルの高さに驚き、障害をどうやってカバ-して競技してるか彼らに聞いてコツをつかむ練習を繰り返しました。
すると2016-2017シーズンのワールドカップで2連覇を果たし、世界選手権でも3位入賞!日本の全国大会でも他の選手を寄せ付けない強さで2連覇!
2018平昌パラリンピック出場を果たし、スノーボード男子バンクドスラロームの下肢障害で金メダル、スノーボードクロスで銅メダルを手にしたのでした!
成田緑夢選手🌠
サイコー⬆⬆
怪我を克服し、ハンデをまるで力にしての金メダル🍀
3本目、素晴らしいバンクドスラロームの滑りには、誰もが感動をもらったはず❕❕
あなたの夢、夢と希望を与え、諦めないことの大切さは、沢山の人に伝わったと思います🌠
夢と感動をありがとう。 pic.twitter.com/XuH9xcv5OK
— ゆか (@scarface_0715) March 16, 2018
●最後に
成田緑夢さんは2018平昌パラリンピックのあとスノーボーボを引退し、現在は陸上の走り高跳びで2020東京パラリンピック出場を目指しています!
陸上と並行して「障害が不利にならない競技」のカヌーにも挑戦中です。
まだ五輪をあきらめてない成田緑夢さんは、2024パリ大会で五輪出場を狙ってます。
父親との関係も変わったそうです。事故で足の障害者になる前は、どんなに良い成績でも褒めてくれない結果が全ての父親が、現在は『頑張ってるな』と言ってくれるようになり、親子関係にも変化が現れたのでした。
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