_
原作者・野坂昭如さんの実話なのか?という映画「火垂るの墓」には都市伝説がいくつかあります。
なかでも節子の死因が怖い。さらに節子の声優は、当時年齢が近い白石綾乃さんでしたが現在は行方不明だとか。
そして都市伝説によると節子と清太は幽霊であり、節子は「千と千尋の神隠し」も登場してるそう。
しばらくテレビ放送がなかったので放送禁止の理由も都市伝説となってましたが、今回高畑監督に死去による久しぶりにテレビ放送となりました。
目次
●ジブリ映画「火垂るの墓」野坂昭如の実話なのか?
ジブリ映画「火垂るの墓」の原作は、野坂昭如さんによる小説です。
原作小説は野坂昭如さんの実話がベースになってるので、ジブリ映画「火垂るの墓」は野坂昭如の実話なのか?といえば実話であるということになります。
■実話ネタバレ
野坂昭如さんは当時14才で妹が1才。でも2人とも養子だったので実の兄妹ではないです。(映画は14才と4才で実の兄妹)妹の名前は節子ではなく恵子。節子は養母の名前でした。
1945年(昭和20年)6月5日の神戸大空襲で家を失い、家族は火傷で死にました。
映画で、母に会えず泣く節子を励ますために清太は鉄棒の前回りをしますが、実話でも鉄棒で46回の前回り記録を持ってます。
焼け跡から食料を見つけたのも実話で、神戸の親戚に身を寄せたのも実話です。
防空壕で過ごしたの実話ですが、映画のように防空壕で生活したわけではないです。
映画での清太は妹思いのいい兄ですが、実話の野坂昭如さんは困窮したなか妹が疎ましく、泣き止ませるために頭を殴ったこともありました。
実話での妹へのせめての思いやりは、蚊帳の中に蛍を放つこと。
しかし食料に困るようになってからはろくに食事も与えず、1才の妹は痩せて骨と皮だけになって誰にも看取られず死去しました。
そんな実話があり、野坂昭如さんはあとから「妹をかわいがってやればよかった」と思い、妹への贖罪と鎮魂をこめて原作小説を書いたのでした。
やっぱり「火垂るの墓」が実話なのかと思うと切なくなりますね。。。
●ジブリ映画「火垂るの墓」あらすじを簡単にネタバレ
1945年(昭和20年)9月21日、清太は省線(現在のJR東海道本線(通称・JR神戸線))三ノ宮駅構内で衰弱死した。清太の所持品は錆びたドロップ缶。その中には妹・節子の小さな骨片が入っていた。駅員がドロップ缶を見つけ、無造作に草むらへ放り投げる。地面に落ちた缶からこぼれ落ちた遺骨のまわりに蛍がひとしきり飛び交い、やがて静まる。
太平洋戦争末期、兵庫県武庫郡御影町(現在の神戸市東灘区[注釈 1])に住んでいた4歳の節子とその兄である14歳の清太は6月5日の神戸大空襲で母も家も失い、父の従兄弟の嫁で今は未亡人である兵庫県西宮市の親戚の家に身を寄せることになる。
最初のうちは順調だった共同生活も戦争が進むにつれて、二人を邪魔扱いする説教くさい叔母との諍いが絶えなくなっていった。居心地が悪くなった清太は節子を連れて家を出ることを決心し、近くの満池谷町の貯水池のほとりにある防空壕の中で暮らし始めるが[注釈 2]、配給は途切れがちになり、情報や近所付き合いもないために思うように食料が得られず、節子は徐々に栄養失調で弱っていった。清太は畑から野菜を盗んだり、空襲で無人となった人家から火事場泥棒し、時には見つかり殴られた上に派出所に突き出されながらも飢えをしのいだ。
ある日、川辺で倒れている節子を発見した清太は、病院に連れていくも医者に「滋養を付けるしかない」と言われたため、銀行から貯金を下ろして食料の調達に走る最中に日本が降伏して戦争は終わったことを知った。清太は日本が敗戦し、父の所属する連合艦隊も壊滅したと聞かされショックを受ける。節子に食べ物を食べさせるものの既に手遅れで、節子は終戦から7日後の8月22日に短い生涯を閉じた。節子を荼毘に付した後、清太は防空壕を去る。その清太もまた栄養失調に侵されており、身寄りも無いため三ノ宮駅に寝起きする戦災孤児の一人として野垂れ死んだ。清太は他の2、30体の死体と共に荼毘に付され、無縁仏として納骨堂へ収められた。
引用:ウィキペディア
●ジブリ映画「火垂るの墓」節子の年齢・声優(画像)
近々追憶特集で高畑勲監督の作品が放送されるんだろうけど、個人的には今一度「火垂るの墓」を見てみたい。
未だに節子の「なんで蛍すぐ死んでしまうん?」って台詞が胸を打つ。 pic.twitter.com/4KvxZx5Av6
— snowflake (@Rebel_AKITO) 2018年4月6日
「火垂るの墓」といえば節子。原作小説のカバーも節子だけで清太は映ってないほど。
そんな節子の年齢は4才で、兄・清太の年齢は14才です。
声優は、アニメだと子供の役でも大人の声優が担当したりするイメージがありますが、節子の声優は当時また5才11ヶ月だったので、年齢才はたった1才だから演技がとてもリアルで印象に残りました。
■節子の声優
節子の声優は、白石綾乃さん(当時5才11ヶ月)
高畑監督の「節子と同年輩で関西弁の子役」という要望で起用されました。
高畑監督は、劇団の子供たちが原作のセリフを読んだそのテープの中に「本物の節子の声が聞こえてきた」と、白石綾乃さんの声優演技を絶賛していました。
■節子の声優の画像や現在は?
↓白石綾乃さんの2009年現在の画像
「火垂るの墓」で節子の声を当てた白石綾乃さん。 pic.twitter.com/dyxgHU6iTV
— どらさ (@DORASA3) 2014年4月23日
白石綾乃さんは27才だった2009年10月にDJのTomoyuki Tanaka (FPM) さんのブログに登場したのを最後に、消息不明です。この時は節子っぽく「おにぃちゃん、うち、テキーラ欲しいねん!」と言っていたそう。
2012年には『火垂るの墓』関連イベントの主催者サイドが連絡をとろうとしたものの、連絡先がわからず出演を断念したとか。
たぶん芸能活動はもう引退して一般人なんだと思います。
●ジブリ映画「火垂るの墓」都市伝説が怖い(節子の死因と郵政説)
「火垂るの墓」には他のジブリ映画同様、怖い都市伝説があります。
節子の死因は、食べ物がなくなって栄養失調だったように見えますが、本当の死因は「有害物質による衰弱」だというのが都市伝説です。
軍需工場の火事で、有害物質を含む黒い雨が降りました。その雨粒が節子の左目に入るシーンがあるので、そのとき有害物質が体内に入ったことが死因に繋がったと思われます。
実際、節子はその後、左目の痛みを訴えてることも伏線の回収となってます。
もし栄養失調が死因だとしたら、体の大きさ=エネルギー消費量から考えて兄・清太のほうが先に倒れるのが自然だという見方もあります。
■都市伝説2 節子と清太は幽霊だった?
これは高畑勲監督の発言から生まれた都市伝説です。
「清太と節子の幽霊を登場させているのだが、気の毒なことにこの体験を繰り返すしかないのだ」
映画のイントロで清太が駅で餓死すると、たくさんの蛍とともに画面が赤くなって節子の幽霊が現れます。
節子が清太の遺体に近づこうとすると、清太の幽霊が現れ引きとめ、節子は笑顔になります。
清太が古いドロップ缶を持つと、ドロップ缶は飴入りの新品になり、2人は幽霊として記憶を見ることでもう一度体験を繰り返すようです。
さらに都市伝説を裏付けるように「千と千尋の神隠し」に節子が登場します。
銭婆のもとへ向かい電車に乗った千尋。最初の停車駅「沼原」のホームに、同じおかっぱ頭の少女が立っています。
少女の顔は見えませんが、半透明なので、清太が来る(死んで幽霊としてやってくる)のを待っている節子だといわれてます。
●ジブリ映画「火垂るの墓」放送禁止の理由
今週金曜よる9時からは巨匠・高畑勲監督作品「火垂るの墓」を放送します。戦火を生きた幼い2人の一瞬の命を輝きを描いた感動作を是非大切な人とご覧下さい。#火垂るの墓 #高畑勲監督追悼 #清太 #節子 #兄妹 pic.twitter.com/S8Op9AN7H8
— スタンリー@金曜ロードSHOW! 公式 (@kinro_ntv) 2018年4月10日
ジブリ映画「火垂るの墓」は1988年4月16日に公開されましたが、実は「となりのトトロ」と同時上映でした。
当時の映画館は今のように座席指定ではなかったので、「となりのトトロ」と見てほっこりした観客が「火垂るの墓」を見て辛すぎて鬱になる人もいたとか。
そうして日本映画史上に残る「絶対にやってはいけない二本立て」となったそう。
リアルタイム公開当時、私は劇場では火垂るの墓→となりのトトロの順番で観たので、火垂るの墓が衝撃的過ぎてトトロが霞んでしまったが、私の周囲の多くはとなりのトトロ→火垂るの墓の順番で観た為に、席を離れずそのまま再度となりのトトロを観たと話していた…※当時は全席指定席制度ではなかった為
— AKUA +UT (@AKUA_UT) 2015年8月14日
その後「火垂るの墓」は戦争の悲惨さを伝える良作品として、終戦記念日の前後などのタイミングで数年おきにテレビ放送されました。
1997年からは1年おきにテレビ放送されたのですが2011年にはテレビ放送されず、2013年を最後に放送されなくなり「放送禁止の理由」が都市伝説として話題に。
劇中で登場する節子が大好きな飴「サクマ式ドロップス」の商標権が原因だというのです。番頭と社長の息子の2社に分かれて裁判で争うことに。
その結果、番頭の会社「佐久間製菓」が「サクマ式ドロップス」の商標権をゲット。
社長の息子の会社「サクマ製菓」は「式」のない「サクマドロップス」の商標権をゲットしました。
都市伝説ではこのことが放送禁止の理由といわれました。
しかし2018年4月5日に高畑勲監督が死去すると、4月13日の金曜ロードショーは予定していた「コナン」を中止して高畑監督の代表作「火垂るの墓」放送が決定。日テレの谷生俊治プロデューサーが映画舞台を同じ神戸出身であり、高畑監督にお世話になったので「最大限の追悼と敬意」の意味を込めてのことでした。
なので「サクマ式ドロップス」の商標権は関係なかったようです。きっと視聴率の問題と、あまりに救われない結末に『こんな悲しい映画、放送しないでほしい』という声が多かったからでしょう。
「火垂るの墓」テレビ放送は今回で13回目で高畑監督の作品としては最多。
ちなみに他のシブリ映画では、「風の谷のナウシカ」で17回。その他にも「天空の城 ラピュタ」は16回、「となりのトトロ」は15回となってます。
この記事へのコメントはありません。